アジア遊学101 日中韓の霊魂観の違い

日中韓の霊魂観の違い (アジア遊学)

日中韓の霊魂観の違い (アジア遊学)

以前、輪廻関係の映画とかマンガとかを漁ってネタ集め*1をしていたが、その論文が出版された。8月に出版するのは、終戦記念日にあわせて首相などの靖国神社参拝が話題になり、「靖国参拝は日本の伝統的な文化にもとづくもので、文化的に異なる中国とか韓国とかにとやかく言われる筋合いはない」というような言説が起こるだろうことが予想されるので、そのタイミングにあわせて「日中韓の霊魂観の違い」を提示しようというのが、企画者である丸山顕徳先生の狙いであった(幸か不幸か参院選の惨敗で、靖国参拝は議論にすらならなかったが)。

中でも加地伸行氏は過激である。加地氏は、「非常に戦闘的な」靖国参拝否定論者である「真宗大谷派の一部僧侶」に対して、次のような調子で問いを投げかける。

 まず第一に。
 真言*2僧侶のあなたは、霊魂の存在を認めるのかどうか、という質問である。
 答えは認めるか、認めないかの二つに一つである。即答すべきである。中間の答えはない。

こうなると、論文としてより文学的なものとしてしか読めない(論理性を欠くとかそういうことではなく、レトリックに目がいってしまうということ)。

私のは「輪廻の構造 『火の鳥』を通してみる日本の輪廻観」というやつなのだが、『火の鳥 鳳凰編』*3の我王とか茜丸とかが永遠に輪廻し続ける存在として描かれていることから始めて、(いつもの)五姓各別説とか『日本霊異記』とか最澄・徳一の話につなぎ、最後には現代の江原啓之氏に戻って考える、みたいな感じなのであるが、読み直してみると構成も文章もぶよぶよでダメダメである(涙)。ちなみにあれだけ一生懸命見た映画とかマンガはまったく反映されていない (^_^;;

なお、この論文に関する以前のエントリに対して、SUMITA氏より有益なコメント(スピリチュアリティと自己決定 - Living, Loving, Thinking, Again)をいただいた。この場でお礼を申し上げます。