“マンガ好きの編集者”氏より、ご恵贈いただきました。ありがとうございます。
- 出版社/メーカー: 大法輪閣
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昨年11月号以来(See 「仏教マンガ」の面白さ - もろ式: 読書日記)、三千大千世界が待望していた夏目先生の仏教マンガ論の続編である。漏れ聞くところによると、前回のはかなり反響があったらしい。今回もなかなかおもしろかったです。
今回取り上げられたのは、以下の5点。
「マンガとはまさに大衆、衆生の業の鏡」という観点から見ると、仏教マンガは業の表現においてはマンガの特性を活かしたすぐれた表現が見られる一方、それを仏教思想として解説したりする場面となると、言葉に頼った表現になってしまいマンガとしておもしろいものではなくなってしまうものが多い、と夏目先生は言う(そういう残念な例として蔡志忠『マンガ禅の思想』をあげている)。
『親鸞』を読むと、仏教(宗教理念)とマンガ(娯楽媒体)という要素の対立が、言葉と絵の対立になってしまっている場面が多いのを感じる。思想の説明としての言葉と、バロン吉元の「面白さ」を感じさせる絵の連続を、コマで縫い合わせたという印象である。
けれど、本来仏教は多くの図像とともに世界に流通し、理念を媒介してきた。とすれば、そこに言葉と絵の根源的な対立を求めるのは無理があるように思う。
絵そのものに仏教を媒介させたようなマンガ作品はないのだろうか? そう考えると、これは難問である。
最後の「難問」について、マンガではないが、白隠の禅画は絵の表現と白隠の悟りが一致している例と言われる。
- 作者: 芳澤勝弘
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ただ、これがマンガ的な娯楽として成立していたかというと疑問であるから、答えにはなっていないのだろう。もしかすると、(これまたマンガじゃないけど)野火迅『仏鬼』*6のように暴力表現に仏教的な理念みたいなものが表現されているのもあるので、そっち系の方がうまくいくのかも〜とも思ったり。
- 作者: 野火迅
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