4月1〜3日は毎年のことなのだが、年度始めの恒例行事が三連荘でぐったり疲れる。げぼー。
ところで、先月末に「『日本霊異記』と占い」なる怪しい題で発表したのだが、要するに仏教における夢占いの系譜と、そこからサイコロ占いに発展した『占察経』などを紹介しつつ、『日本霊異記』下巻三十八縁の二番目の夢について仏教的視点から(これが意外と少ない)分析してみる、というものであった(一番目の夢については五姓各別説と観音の夢 『日本霊異記』下巻第三十八縁の読解の試みで分析してみたことがある)。
下巻三十八縁の二番目の夢と言うのは、作者の景戒が自分の見た夢を記しているのであるが、こんな感じである。
延暦7年(788年)の3月17日の夜にこんな夢を見た。私の身体が死に、薪が積みあげられて死体が焼かれた。私の魂は、死体を焼いているそばに立って、それを見ていた。しかし、思った通りに焼けなかったので、小枝をとって、焼かれている自分の体に突き刺し、串刺しにして、ひっくり返して焼いた。先に焼いていた人に「私のように焼くのだ」とアドバイスをした。私の脚や膝の関節の骨、腕、頭などは皆焼かれて切れ落ちた。ここで私の魂は大声で叫んだ。そばにいる人の耳に口を当てて叫んだ。遺言を言ったのだが、その声に実体がないためか聞こえなかったようで、その人は何も答えなかった。私はその時「死人の魂には声がないので、私の叫び声が聞こえないんだなぁ」と思った。
けっこうすさまじい夢だが、書いている景戒は割と淡々としている。景戒はこの夢について、次のようにコメントしているのである。
夢の答えはまだ来ていない。もしかすると長命を得るのかもしれないし、あるいは官位を得るのかもしれない。今から後、夢見の答えを待って、これを知るだけだ…と思っていたら、延暦14年(796年)12月30日に、私は伝灯住位という位を得た。
ここで景戒が「長命」とか「官位」とか言ってるために、妙に宗教的な夢の内容と比較して、俗っぽすぎるんじゃね?と評価されてきた。例えば寺川真知夫氏などは、
尚第二の夢に言及すれば、この夢はシャーマンのイニシエイションにおける夢告を思わせるきわめて宗教的な夢である。しかし、その夢の意味を受け留めず、これを長寿もしくは官位獲得の前兆と解し、伝灯住位を授けられたことで答来れりとした景戒は、呪術者的な宗教人としての素質を欠いていたことを伺わせていると言えよう。(「景戒と表相」『花園大学国文学論究』第8号、1980年)
などとボロクソ?に言ったりしている。
でも景戒の夢解釈はそれほど俗っぽくないのではないか、という印象がある。懺悔とそれによる滅罪は、東アジアの仏教の修行の中でとても重視された実践であるが、過去にどんな悪業をしたのかがわからなければ具体的な懺悔はできないし、また滅罪が達成されたのかどうかも凡夫の力では知ることができないので、それを知るための技術のひとつとして夢における聖なる存在からのメッセージの受信というのが重視されるようになった(また、体調不良などを知る手段としても夢見は重視された)。菩薩戒の受戒における好相行もその流れの中にあるし、景戒が天台智者すなわち智顗の名前を出すのも、智顗が多くの懺悔マニュアルや瞑想マニュアルを書いており、その中に夢見のことが大きく取り上げられているからである。つまり、東アジアにおいては、仏教の修行全般において夢見は欠くべからざる技術だったのである。
新羅や奈良仏教で重視された『占察経』を読むと、「長命」とか「官位」とかは、上のような修行の技術論の中の、善悪の業の結果を知る、という文脈の中で登場する。変な夢を見た後に官位を得るということは、東アジアの懺悔→滅罪の伝統を受け継いだ者にとっては、聖なる存在からのメッセージを受け取ったという証拠なのだ。つまり景戒は、「呪術者的な宗教人としての素質」はともかく、仏教者としては高い素養を持っていたのではないかと思われるのである。
付け加えておくと、景戒の夢見や前兆=予知に関する言説は、仏教的視点からだけでは説明しきれない。陰陽道との関連が指摘されているものもあるし、自分の死をよい前兆と見る考え方は中国の解夢書に見える。ただ、仏教の伝統にもこういう現代人の目から見たらアヤシイ(抽象的な哲学好きの人から見たら低俗 (^_^;; な)ものも重要な技術として存在し、だからこそ中国とかの伝統的な占いっぽいものと混ざり合ったりして、大きな影響を日本に与えたんだとも思う。そういう意味で、『日本霊異記』下巻三十八縁については、興味がつきないのである。