『会津学』創刊号

奥会津書房から『会津学』創刊号が届く。院生時代に徳一研究に行き詰まりを感じていた頃、東北学へ〈1〉もうひとつの東北からに出会って以来、その趣旨に全面的には賛成できないながらもずっと「東北学」を追いかけ、東北文化友の会にも参加してきた(本を買ってるだけだけど)。「会津学」もこのような流れに属するものであるが、会津地方で育った人間として、このような企画をたちあげ、実現させた人々に敬意を表したい。 普通「○○学」という場合、「歴史学」とか「物理学」とか、学問の方法によって分類するのがほとんどある。「会津学」のように学問の対象を名称とするのはいくつかあるが、これは大きく分けると二つあるように思う。ひとつは「敦煌学」や「京都学」のように、学問の対象が非常に豊かな情報量を持っており、歴史学、文学、地理学、その他多くの学問が研究対象としているので、情報交換や学際的研究を促進するために一つの領域としている場合。もうひとつは、仏教学、中国学のように、元々は(というか現在でも)学問の対象を名前とするが、(ある種の伝統によって)それ自体が独自の方法を持っている場合がある(方法としての仏教とか方法としての中国とかあるしね)。例えば中国学は、漢学という独自の方法論を持つ伝統の延長線上にあったりする。 赤坂憲雄氏の提唱する東北学は、多分、後者に近い。つまり、東北学とは、東北地方を対象とする学問であるのは言うまでもないが、同時に東北は弥生的「一国史観」から縄文的「いくつもの日本」へ、というような方法の象徴でもあるのである。だから、機関誌である『東北学』には、沖縄とか韓国とか、東北ではない話題がばんばん載るし、それは全然問題ないのである。 では「会津学」はどうだろう。創刊号の特別座談会「会津から拓く学びの庭」赤坂憲雄×菅家博昭×遠藤由美子を見ると、どうやら「方法としての会津」を志向していることが読み取れる。これは、すごい試みだろうと思う。一方、各記事は、要するに会津地方の民俗誌だ(すごくおもしろいけど。東京から来た「嫁」が書いた「渡部家の歳時記」とか)。会津の文化を次世代に伝えたいという気持ちがそこにはあるのだろう。 基本的に、対象はずっと残る(残らない場合もあるけど)が、方法は時代によってどんどんかわっていく。特に会津学が方法論的立脚点としているのは、(学術的)知が力を失っている現代の状況であることから考えると、その方法論の寿命は短いかもしれない。方法が目的に応じて変わるのはよくあることであるが、その変化に会津学は対応できるだろうか。それがちょっと気になるところだったりする。 ともあれ、おもしろがってやっているみたいなのが、すごくうらやましかったりする。