京都の律宗寺院

ここ数年、毎年2回ずつ行っている、花園大学プレゼンツの浜松・静岡での京都学講座に、今日もまた行ってきた。本当は仏教史学会の4月特別例会シンポジウム「最澄をめぐる諸問題―平安仏教史研究の課題として―」に行きたかったのだが、問答無用でスケジュールを決められてしまったので、仕事を優先することに。幸い、毎回受講生が増えているらしく、今回浜松の会場は一回り大きな部屋に変更されていた。

今期は「歴史秘話」というテーマが決まっていたので、ちょっとマニアックに行こうと思って「京都の律宗寺院」というタイトルにした。律宗寺院と言っても、要するに京都市内で言えば壬生寺と法金剛院しかない。法金剛院は通勤途中にあったりするので、準備のためにカメラを持って待賢門院璋子の陵墓などの写真を撮りに行ったりした。講演では大河ドラマ新選組!』の一シーン(法金剛院から帰ってきた壬生寺の住職がお通夜で『梵網経』を唱える、というシーン)を枕にしつつ、戒律とは何か?律宗ってどんな人たち?みたいな概説をして、鎌倉時代に法金剛院を中興した導御についてお話をする。導御について主な元ネタは細川涼一先生の以下の本に収録されている「法金剛院導御の宗教活動」。

中世の律宗寺院と民衆 (中世史研究選書)

中世の律宗寺院と民衆 (中世史研究選書)

叡尊らと比べると影が薄いが、京都という場で考えると、壬生狂言とか嵯峨大念仏狂言とか(講座の中でも「炮烙割り」の映像を流した)の礎を作った導御のほうが重要度が高いと言えるかもしれない。

また、中世の律宗寺院と地蔵菩薩の関係が深く、「死者を「成仏」に導く導師としての律僧の能力に対する期待や、律僧の墓所管理機能への信頼、さらには、律宗がその寺院機構の中に三昧聖としての役割を果たす斎戒衆を組織していたことなどがあった」という点は、自誓受戒との関係を考慮しなければならないだろう(講座の中では全然触れなかったけど)。自誓受戒による滅罪と浄土への転生は菩薩戒の伝統ではしばしばセットで語られることであるし、来世のことを知る占い的な要素についても関係してくるのではないかと思う。