読んだ。
- 作者: 松岡正剛
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2008/11/15
- メディア: 新書
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うーん、何だこれ? (^_^;; 売れてるの?
煽り文句は「博覧強記の著者が“巨知”白川静に挑み、その見取り図を示した初の入門書」とのことであるが、梅原猛氏との対談『呪の思想』と、かなりかぶってるような気が。
- 作者: 白川静,梅原猛
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2002/09
- メディア: 単行本
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それはおいておくとしても、この本が、結局白川静氏の何をアピールしたいのかよくわからない。個人的に、白川静氏の業績において評価すべき点は、「口」が“サイ”であることを発見した!みたいな実証?的な部分ではなく、民俗学的、比較神話学的(構造主義的…とまで言っていいかはわからないが。合掌→レヴィ=ストロース師)な方法論を導入したり、『説文解字』を敵に回して文字の持つ宗教性を強調した解釈モデルではないかと思う。
多分、実証面では、これから(というか、もうすでに?)白川静氏の「解釈」結果はどんどんダメになっていくだろう(その筋の人からは「白川静ってチャネリングだよね」という話はよく聞く)。考古学的な発見がどんどん進んで新資料が出ているし、文献学的な研究もこつこつと積み重なってきているからだ。でも、方法論やモデルは、状況によって(たとえば、解釈があまりにも政治的、世俗的すぎることに対するアンチテーゼ、みたいな感じで)何度でも息を吹き返すだろう。実証がダメでも、その説明概念やモデルが後世に多大な影響を与えた例はたくさんある。たとえばデリダのソシュール解釈は、その筋の人から見れば噴飯物らしいが、そこから出てきたエクリチュールの哲学の影響力は言うまでもないだろう。
「博覧強記」だという松岡正剛氏が、どの程度中国古代史学界の事情に詳しいのかは知らないが、あまり白川静氏の「発見」ばかりを強調するのは、将来的に白川静氏の業績を不当に貶めることになるのではないかと思ったりもするのである。