「絶対当たる占い」についての白川静の発言

野村さんが見えないものを見るための占い - Under the Hazymoonで、

ユリイカの白川静特集*1で、もろさんが「“絶対に当たる占い”の場合、さらに一ひねりが加わっている。甲骨文字を使った占いでは、望ましい結果が出るまで何度も占いを繰り返したり、結果に応じて事前に行われた占いを改竄したり、結果が出た後に問いや占いを書き記したりするなど、現代人から見れば茶番とも言えるようなことを行っていた」と、占いの事後的解釈の原則性について述べている点に、たぶん落合敦思さん*2の議論を援用したのだと思うけど、で、落合さんはもっと踏み込んで、こうした甲骨占いの性格から実は古代王権はきわめて政治的に構築されたものであって、信仰は表面的なまやかしでしかないようなことを書かれてて、おいおいと思ったわけですが、どうにも違和感を感じるんですね。

と述べているが、そこのコメントにも書いたように、私としては落合さんじゃなくて白川静先生自身が言ってることをベースにしてるつもりであった(その辺、ユリイカにちゃんと書かなかったので、反省しています)。遅ればせながら、該当箇所を『呪の思想』*3から抜書きしておこう。

白川 日本に文字が出来なかったのは、絶対王朝が出来なかったからです。「神聖王」を核とする絶対王朝が出来なければ、文字は生まれて来ない。
(中略)
白川 神聖王朝というと、そういう異民族の支配をも含めて、絶対的な権威を持たなければならんから、自分が神でなければならない。神さまと交通出来る者でなければならない。神と交通する手段が文字であった訳です。

これは統治のために使うというような実務的なものではない。神との交通の手段としてある。甲骨文の場合、それは神に対して、「この問題についてどうか」という風に聞きますが、神は本当に返事をする訳じゃありませんから、自分が期待出来る答が出るまでやって、「神も承諾した」ということにして、やる訳です。

梅原 あらかじめ答を用意している訳ですか。

白川 そうです。これは一つの手続きです。神と交通し、神に承諾せしめた、というね。

梅原 自分の期待した答が出なかったら、何遍もやる訳ですか。

白川 何遍もやる。十連卜なんていうのもありましてね、何遍もやるんです。だから決して悪い結果は出ないんです(笑)。

梅原 (笑)

白川文字学のおもしろいところは、言ってみたらインチキ(わたしの論考では「詐称」とか「顛倒」という言葉を使っている)だとわかっているのに、これを「神聖」「神と交通する手段」と言い切り、またこれによって「ロゴス」と結びついた文字が誕生した、と言い切ったこと、そして文字の誕生と神との交通を同じものだと考えていることだと思っている。そして、わたしの考えでは、この「インチキ」的なプロセスによってこそ、先行者としての(伊藤剛さんの用語の)キャラや意味が立ち上がってくる。それと同じように、“絶対に当たる占い”では、人間が書いた文字が他者である神の言葉(=ロゴス)になる。野村さんの言葉を借りれば、事後的に解釈されるからこそ、そこに宗教性が生まれる、という感じだろうか。

んで、もしかすると白川静先生は、こういうことを言いたかったんじゃね?というのが、私の論考の言いたかったことだったりしたのだが、文章がヘタでわかりにくかったようですいません (^_^;;(「インチキ」とか「詐称」とか「顛倒」って言葉は使わない方がいいのかもしれないが、それ以外の言葉が思い浮かばない)。

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*2:[asin:4062880180:detail]

*3:[asin:4582831214:detail]