記号としての現物

『ガリヴァ旅行記』*1によると、空飛ぶ首都ラピュタを擁するバルニバービ島の首府ラガードーの国語学校では、次のような国語の改善案が提案されているらしい。

 いま一つの案は、これはまた言葉をいっさい全廃してしまう、その方が簡略でもあり、また健康のためにも非常によいというのである。いったいわれわれが言葉を発するということは、ある意味で一語一語腐食作用によって肺を削っているわけで、したがってそれだけ生命を縮めることになる。そこで便法として提案されたのは、言葉とは要するに物の名だ、してみればわれわれが、話したいと思う用件を表わすにぜひ必要な品物は、むしろ現物を持って行った方がはるかに便利だろうというのである。この創案はすんでのところで実現するところだったが、なにぶん女という奴が、俗衆どもや無学者どもと一緒になって、自分らは以前祖先たちがしたように、舌で話すことを許してもらいたい、でなければ、内乱を起すといっておどかしたものだから、とうとうオジャンになってしまった、いつの世にも度しがたい学問の敵は俗衆である。

この「俗衆ども」は、なんだか絵文字符号化に対して「プレーンテキストの伝統」や「文字の典型」を盾に反対している人びとのことを指しているような気がする (^_^;;

それでも知識階級や識者たちは、あくまでこの物々表現の新方法を守っているのだが、ただ一つ困ることは、もし用件が大きかったり、多岐にわたったりする時だ、屈強な召使が一人二人もいればいいが、でなければ仕方がない、用件に応じて大きな包みを背中に背負って行かねばならない。我輩もたびたび目撃したが、こうした賢人たちが二人、ちょうどわが国の行商人そっくりで、大きな荷物を背負って、ほとんど倒れかかっている。それでもし彼らが往来で出くわすと、荷物をおろして、袋をほどく、かれこれ一時間も話がつづいたと思うと、道具をしまってお互いに助け合いながら、ふたたびドッコイショと荷物を背負って別れて行くのだ。

これは文字コード爆発に対する皮肉(パンドラの箱を開けることに対する懸念)かな?(深読みし過ぎ (^_^;;)

ちなみに『テクストの概念』*2の中でエーコ氏は、上の件について次のようにコメントしている。

…この住民たちは、リンゴや、ペンや、箱のことを話さなければならなかったときには、袋の中から目指す物体を取り出していたのである。
 したがって、この人びとは象とかカバとかについて話すことは実際的な理由から不可能になっていったという事実を別にしても、この先見るように、彼らとて、とどのつまりは現存の事物を使って不在の事物を指し示そうとしていたのである。なぜなら、当然のことながら、彼らが袋から取り出したリンゴはそのリンゴだけを表わすべきではなくて、ありうるすべてのリンゴを表わすべきだったのだからだ。…
 こういうと、みなさんはお分かりになるように、“aliquid stat pro aliquo”〔何かが何か別のものの代理をする〕なる昔の定義は、パースが記号を“everything which stands to somebody for something else in some respect or capacity”〔誰かにとって、ある面または資格において他の何かの代理をしているすべてのもの〕と規定していた場合のそれと一致する…。

つまりラピュタ人の「現物」主義は「言葉をいっさい全廃してしまう」ことにはならず、少なくともその中の非常に重要な機能である記号作用については共有しているということになる。

ところで、ガリヴァ氏は、この「現物」主義の利点について、次のようにも言う。

 この創案のいまひとつの大きな利益というのは、これならばあらゆる文明国間に世界語として通用することである。つまり所持品とか道具とかいったものは、世界中だいたい似たり寄ったりのものに決っている、したがってこれさえ使用すれば、容易に理解し合える道理である。そして大使などというものも、たとえ相手の言葉は全然わからなくとも、外国の君主、大臣たちと完全に折衝できるはずである。

これは、絵文字の文化依存性の問題(携帯電話の絵文字のUnicode登録をめぐる議論の動向 - もろ式: 読書日記の「日本の文化に依存しすぎ論」あたりを参照)を考えると、簡単には首肯できない議論である。この問題は、家辺勝文さんが「emojiとインターネット」(『勉誠通信』第4号、2009年2月)の中で指摘している「図記号と普遍言語」の問題にもつながる*3

*1:[asin:4102021019:detail]

*2:[asin:4880591750:detail]

*3:[asin:4003343018:detail][asin:4875021739:detail][asin:487502214X:detail][asin:4582476317:detail][http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20090219/p1#c:title=コメント]をいただいたので以下のものを追加。[asin:4061598279:detail]