法相宗所伝の諸論師系譜の再考

佐久間秀範先生よりご恵贈いただきました。ありがとうございます。

  • 佐久間秀範「法相宗所伝の諸論師系譜の再考」(『多田孝正博士古稀記念論集 仏教と文化』、山喜房佛書林、2008年11月、isbn:4796301848

この論文では、まず以下のような仮定を立てる。

  • 瑜伽行派の教理について、「初期の頃は修行の実践体験を思い起こさせる記述」が多いことからこれを「実践理論」とし、「それらの理論が完成した後に展開する理論」は「理論体系としての美しさを追求する内容となっている」ことからこれを「教義理論」として、大きく二つに分ける。
  • 安慧については「彼の著作と伝わっているものの原典と逐語訳と見なすことが許されるチベット語訳テキス卜をもって安慧の主張とすることに」し、「玄奘が翻訳した『摂大乗論』や『仏地経論』その他のテキストを玄奘の主張とすることにする」。

それで「四智と八識の結合関係」「四智と三身の結合関係」「五姓各別の成立過程」などについて、玄奘の説と安慧や護法などの論師の説を比較すると、従来、法相宗などの伝統説をもとに護法→戒賢→玄奘と考えられていた系譜よりも、護法の“敵”と考えられていた安慧の方に「思想的に何らかの近似性が認められる」そうである。

例えば(私が最も関心がある)五姓各別説について見てみると、

『大乗荘厳経論』MSA III.11に対する『大乗荘厳経論』無性釈MSATと安慧釈SAVbhは次のように解説を始める。第11偈注釈部分で無性釈は「ここの意味で無種姓に住する者とは般涅槃する性質を持たない者ということが意図されていると言う中」と世親釈部分からいきなり始まるのに対し、安慧釈は別に「無種姓の区別について一偈という中、以前に声聞種姓と独覚種姓と菩薩種姓と不定種姓を説明し終わって、今や無種姓を解説する」と付け加えている。無性釈が第六偈で三乗種姓と不定種姓を明示しながら、無種姓の偈と直接リンクさせていないのに対し、安慧釈には明らかに五つの種姓でラインアップを構成しようとする意図が見られる。ここに五姓のラインが次第に形成された経緯を見ることが出来るのである。

だそうである。ここから佐久間氏は次のように推測する。

…これまで我々がインド瑜伽行唯識学派の諸論師として名前が挙げられているもの達の系譜について暗黙の了解としているものは、実は法相宗立宗に関わった窺基等系統の創り上げた考え方に影響されて創り上げてしまっているのではないだろうか。

上の仮定をどう評価するかによって結論に対する評価も変わってくるような気がするし(個人的にはちょっと大ざっぱすぎるかな、という気もする)、基による“捏造”疑惑については以前から何度か言われてきたことではないかとも思うが、安慧の方が近いんじゃね?というのはあまり聞いたことがない気がするので(大正大の廣澤先生が言ってたような気もするが…記憶違いかも。そういえば廣澤先生にまだお返事書いてないや…すいません)興味深い。以前「清辨比量の東アジアにおける受容」という拙論で、玄奘は清弁に対して割と高評価っぽいのに、基以降「悪取空」として極悪人扱いされることについて指摘したが、上の安慧の件も似ているような気がする。