「キャラクター・身体・コミュニティ〜第2回人文情報学シンポジウム」って書くと長いので、これからは“hi-2008”という略称を使います(前回のシンポでは、守岡さんがhi-2007という略称を使っていたので)。
さて、シンポジウムに関して、いろいろ発言が見られるようになってきた。時は来た!(破壊王風に)
パネリストの伊藤剛さんが「「ちくま」に初音ミクについての原稿を書きました。」(id:goito-mineral:20080301:1204345586)で、hi-2008のテーマに非常に関連すると思われる文章「ハジメテノオト、原初のキャラ・キャラの原初」(『ちくま』Vol. 444, 2008年3月*1)を紹介されている。この文章では、初音ミクやHMO*2を紹介しつつ、ニコニコ動画などで初音ミクの「声」「言葉」「図像」が結び付き「人格・のようなもの」を獲得する現象を紹介している。
「初音ミク」をめぐる現象は、従来「物語」から派生し、従属するだけのものと考えられてきた「キャラ」がそれだけで成立すること、その成立因をきわめてきれいに見せてくれる。ある固有性を持つ「人格・のようなもの」というイメージの共有を基盤として、後から表現が重ねられていく過程をつぶさに観察できるのである。さらに、「キャラ」であることと図像とが切りはなせない、マンガの分析からは見えにくかった、「キャラ」と「図像」との関係を、「声」や「言葉」との相対的な見取り図のなかで見せてくれるのである。(p. 41)
伊藤さんが「紙幅の関係もあり、ほんの端緒を示すのが精一杯でしたが」と述べている通り、これからの議論の展開が望まれるところであるが、何だかhi-2008のために書いて下さったような気がして(もちろんそうじゃないんだが)とてもうれしい。特に「原初のキャラ・キャラの原初」というテーマ設定は(危険度いっぱいだけど)魅力的である。「原初」と「共有」という一見矛盾する概念が同居しているところこそが、ある意味「一般キャラクター論」の“本質”だと思われるからである。
次に、小形克宏さんの「「束縛」という視点について (1)」(id:ogwata:20080302:p1)。「「抽象化⇔具象化」という往還するモデル」で説明される性質は「文字においてはごく一般的な性質」であり、「このモデルが、マンガやアニメの「キャラクター」にも共通している」という理解は、「一般キャラクター」に対するかなり正しい理解だろうと思う(ただ、私の個人的なイメージでは、抽象・具象の間は「往還」はしない、と言うか、往還のような直線的な時間の枠組みで説明できるものではない)。(2)以降に期待が高まる。狩野さんのコメントもナイス。