釈尊の奪い合い?

佛教史学会の例会が花園大学であった。来月20日に佛教史学会の大会・総会が本学で開催されるので、その下見も兼ねての例会の開催である。

今日の例会の発表者は北條竜士さんで、題目は「『悲華経』と浄土教」。『悲華経』については全然知らなかったので、阿弥陀仏のように浄土でブッダになることを選択した仏を、能力が高い者だけを教化の対象にするという意味で「怠け者」とし、逆に釈迦のように悪党から何からわんさかいる穢土で救済活動を行うことを選択したブッダの方が優れている、というようなことを説いていると知って、とても勉強になった。

ところで発表では、題目に「浄土教」とあるように、浄土教ないし他方仏批判の経典として位置づけていたが、私は違う印象を持った。すなわち、(ちゃんと経典を読んでないので発表で聞いた範囲でしかないが)『悲華経』は阿弥陀仏や西方浄土を否定しておらず(北條氏によれば西方浄土に対する憧れ?のようなものを感じさせる記述もあるという)、むしろ穢土を浄土よりも救済能力が高い場所(浄土以上の浄土?)と見なすことのほうが主眼のように思われる。『悲華経』の仮想敵は浄土経典ではなく、釈迦仏が浄土で説いたとされる『解深密経』などの経典、あるいは法としての仏を強調する経典群(般若経とか)ではないだろうか。逆に『悲華経』が釈迦の45年間の教化期間を重視(阿弥陀仏の無限の寿命と等価であると見なす)したり、死後の舎利神変を説いたりするのは、他経典の観念的ないしスーパーナチュラルな釈迦仏ではなく、ナチュラルな釈迦仏を重視する人々によって作られたからではなかろうか。

ブッダの聖遺骸を重視すると言えば、中央アジアを思い出す。玄奘の伝記には、そういう聖遺骸に関する記事がたくさん出てくる。そう言えば浄土経典は中央アジアで作られたというのが定説になってると思うが、もしかすると『悲華経』を作った人々も、そのあたりで活動していた人かもしれない。…なんてことを思ったりしたので、そのうち一部を質問する。

発表が終わってからは、来月の大会の打ち合わせなど。規模はそれほどでもないが、全国学会なので、けっこうたいへんそうである。