じんもんこん:-)2006 2日目

セッション4A「テキスト処理」で座長をする。明星聖子さん、内木哲也さんの「文学デジタルアーカイビングをめぐる理論的考察―作品とは何か、作者とは何か―」を楽しみにしていたが、期待に違わぬ刺激的なものであった(と言うと言い過ぎか)。概要はこんな感じ(間違ってたらごめんなさい*1):

  • 文献学というものは、確固たる「作者」、「作品」というものを想定し、様々な要因で劣化してしまった作品のオリジナル(原本)に限りなく再現することで、作者の意図を正確に読み取ることを目標とする学問である。
  • 例えば従来の文学全集などでは、主に紙、書籍という媒体の制限で、細かいバージョンの違いを表現することが難しかったわけだが、コンピュータの登場によってより文献学の目標に近い形で研究成果を表現することができるようになった。
  • ところが、皮肉なことに、コンピュータの利用は従来隠蔽されていた文献学のアポリア―そもそも「作者」って何?「作品」ってそんなに確固としてるかい?―を、(これまでも様々な形で指摘されてきたことではあるが)非常にオープンな形で露呈することになった。
  • デジタル文学全集を作る際には、文学研究者が、「作者」や「作品」が社会的言語的に構築されていることをふまえつつ、どこからどこまでを「作者」「作品」とするかということに責任をもって携わり、説明責任を果たしながら、開発をしていかなければならないのではないか。

コンピュータの登場によって従来の方法論が変更を迫られ、メタな議論が必要になってくるぞ、という点については、私もこれまで何回か書いたことがある(「大規模仏教文献群に対する確率統計的分析の試み」*2「IT時代のインド学仏教学」*3など)。ただ、「人文科学にとっての“デジタルアーカイブ”」*4や「「デジタルアーカイブ」とはどのような行為なのか」*5でも触れたように、人文科学者だけが担えばいいというものではなく、情報系の人も(文化行政の担当者も云々)考えてほしい(もっとぶっちゃけて言うと、人文情報学ってのはそこが一つの問題領域としてもいいと思うぐらい)というのが私の立場なので、明星さんの「文学研究者が」というのとはちょっと違う。ただ、明星さんのすばらしいのは、こういう問題を解決するための具体的な研究組織を立ち上げたということなんだろうと思う。

その後発表を聞いたり、ポスターセッションを見たり、ぱーどれとぐだぐだしゃべったりしながら時間をつぶす。荒俣宏講演会は、まあ、あんなもんでしょ。

*1:間違っていたようです (^_^;; コメント参照。

*2:『漢字文化研究年報』1、2006年3月、pp. 116-128所収。

*3:

インド哲学仏教学への誘い―菅沼晃博士古稀記念論文集

インド哲学仏教学への誘い―菅沼晃博士古稀記念論文集

*4:共著(赤間亮・川村清志・後藤真・野村英登・師茂樹)、『人文科学とコンピュータシンポジウム論文集 デジタルアーカイブ ―デジタル学術情報資源の共有と活用―』(IPSJ Symposium Series Vol. 2004, No. 17)、2004年12月、情報処理学会、pp. 259-267所収。

*5:情報処理学会研究報告』Vol. 2005, No. 51 (2005-CH-66)、2005年5月、pp. 31-37所収、http://fw8.bookpark.ne.jp/cm/ipsj/search.asp?flag=6&keyword=IPSJ-CH05066005&mode=PDF