フィクション班でプロレスの発表をするので*1、そのネタ仕込みとして購入。
DDTという団体の試合を観るのはこれが初めて。1997年旗揚げ*2とのことなので、私がプロレスを観まくっていた時期には存在していたはずだが、縁がなかったようである。体の線が細いレスラーが多いけど、なかなかおもしろい試合をしている。ライブで観たいものである。
お目当ての試合は、DDTトップ2の高木三四郎+ポイズン澤田JULIE組 vs 後藤達俊+長井満也(+ケロ*3)の新日本プロレス離脱組。ポイズン澤田JULIEの「呪文」を認めるか認めないか、というイデオロギー決戦である。結果は『週刊プロレス』などで知っている(ストロングスタイルな新日軍が一方的な試合をするも、土壇場で「呪文」がかかり、DDT軍の劇的逆転勝利)わけだが、是非とも試合を観ておきたかった(特に、どんな風に呪文がかかったのか)のである。
観終わった時、試合そのものよりも、高木三四郎の「プロレスで一番大切なものはファンタジーなんだよ!」という発言における「ファンタジー」という言葉の方が気になった。
とりあえず、文学などのジャンルとしての「ファンタジー」については、稲葉振一郎さんの『モダンのクールダウン』*4が参考になるので、それをざっと見てみよう。稲葉さんは、ファンタジーをまず大雑把にジャンル・ファンタジーと正統的・本格的ファンタジー(幻想文学)に分け、前者を「異世界の実現可能性・実在可能性への無頓着」ゆえに「最もリアリズム文芸に近」く「万人向け」であるとする一方、後者を「作中世界の現実性への懐疑」が濃く「メタフィクション的」であり「病人向け」であるとする。そして、後者が「モダニズムの通俗版」「前衛文学のカウンターパート」であるのに対して、前者はSFやファンタジーのガジェットや道具立て(「お約束」)のみが非常に幅広くデータベース的に共有されてしまっている「ポストモダン」なものであるとする。
高木三四郎発言の「ファンタジー」は、まさに稲葉さんの言う「ジャンル・ファンタジー」なのだろう。ポイズン澤田JULIE(これもなんと、データベース的なリングネームだろう (^_^;;)の「呪文」はまさに「お約束」以外の何者でもない。プロレス雑誌などでよく言われる「プロレス頭」というのは「お約束」データベースの検索能力の高さのことであるとも言える。(書きかけ)
*1:[http://morosiki.txt-nifty.com/blog/2006/03/post_f707.html:title=もろ式: 読書日記: フィクションなプロレス]、[http://morosiki.txt-nifty.com/blog/2006/06/2_53f6.html:title=もろ式: 読書日記: プロレス研究書2本]
*2:[http://ja.wikipedia.org/wiki/DDT%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0:title=DDTプロレスリング - Wikipedia]
*3:[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%A7%80%E5%92%8C:title=田中秀和 - Wikipedia]
*4:ISBN:4757101805:detail