牛祭りの起源

我らが東方教主の日記つぶやきコーナー/リローデッド35の5月7日のエントリは、太秦LOVERとしては見逃せないものである。
んで、いまでも京都三大奇祭として受け継がれてるのが、牛祭りで、ここに登場するのが摩多羅神です。 この摩多羅神が、全く由来のワカラン神でして、アタマ痛いです・・・。 赤山明神、新羅明神摩多羅神などなど、実は正体不明の渡来系の神々が結構います。 これについて詳しいのが山本ひろ子氏の『異神』(ちくま文芸文庫)でして、非常に詳細にその来歴を分析されています。 まあ、これらの神は結局のところ「正体不明」なんでしょうけど、どーも七郎神などを調べていると、気になる存在ではあります。 というのも、赤山明神も新羅明神も、その日本への渡来説話は、全くと言ってよいほど七郎神と同じです。 高僧が日本に帰るに当たって、その地の山神である神が日本に来たという話。 主人公が円仁であったり、円珍であったり、また道元であったりするだけで、同じパターンの焼き直しと言えます。 或いはどちらかがどちらかに影響を与えているのかもしれませんが・・・。 それに、赤山明神の図像ってのも、七郎とよく似てます。 もっとも、手をかざしてませんけど。かざしてたら、あまりにもドンピシャ過ぎますって(笑)。 新羅明神の伝承も気になります。そもそも朱山王や嵩嶽という称号もあり、また「明州の神」という記載もあるとか? 嵩嶽の補佐だったら張大帝じゃないかとも思ったりします。 そもそも「なんで牛祭り?」と思われているようですが、張大帝の祭祀では、ものすごい数の牛を使い、まさに「牛祭り」だったんですよー。 むろん、これが張大帝の祭祀のストレートな反映とは思えないのですが、幾つかの影響はあるんじゃないかと思っていたりします。
今まで聞いた説(って言っても、日ユ同祖論以外にはほとんどないけど (^_^;;)の中では、一番説得的なもの。最近、私は、インド〜中央アジアの伝統を古代・中世に見いだす、みたいなことに関心があって、中国はあまり力を入れていない(やってる人多いし)けど、新羅明神なんかは新羅がらみで(って、いい加減な連想だが (^_^;;)ちょっと調べてみたいなぁ。とりあえず、赤山明神からかな。