ブッダ最後の旅

震災の情報に目を奪われて心身が疲れきっているときに、何気なく手を伸ばしたら一気に読んでしまった。

ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫)

ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫)

初期仏教の経典の多くが短い問答を集めたものであるのに対し、『大パリニッバーナ経』は一続きの比較的長いお話になっている。小学生の頃、教会がやっている塾に通っていたこともあって、新約聖書を繰り返し読んでいたのだが、『大パリニッバーナ経』のロードムービー的な雰囲気は、新約聖書とも共通するような気がして、初期仏教経典の中では他のものよりも親近感があって読みやすい。

それにしても本書を通読したのはいつ以来になるだろうか。仏教に関心を持って本格的に本を読み始めたのが高校生ぐらいだったと思う(当時は中沢新一さんがかっちょよかった)から、本書を初めて通読したのもそれぐらいから大学生のころかもしれない。となると20年ぐらい前ということになるかも。うへー。岩波文庫の仏典シリーズは、引越しのたびに捨てたり買いなおしたりを繰り返しているので、当時読んだものは多分残っていない。

ところで、久しぶりの通読では、いろいろな気づきがあった(勉強は続けるものである)。以下、気づいた点をメモしておく。

  • 推論についての言及…「わたくしは尊師に対してこのように信じています」と知ったかぶり?をしたサーリプッタに対して、釈尊が「他心通がないお前になんでそんなことわかるの?」とツッコミを入れる。するとサーリプッタは「尊い方よ。過去・未来・現在の真人・正しくさとった人々についての〈心のありさまを知る智〉(他心通)はわたくしにはありません。しかしわたくしは、〈ことがらを推知すること〉を知っています」と答える。(p. 31)
  • 身体の観察…釈尊曰く「アーナンダよ。ここに修行僧は身体について身体を観じ、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。」(p. 65)
  • 巡礼のすすめ…釈尊曰く「アーナンダよ。これら四つの場所が、信仰心のある良家の子が実際に訪ねて見て感激する場所である。アーナンダよ。信仰心ある修行僧・尼僧たち、在俗信者・在俗信女たちが、〈修行完成者はここでお生れになった〉、〈修行完成者はここで無上の完全なさとりを開かれた〉、〈修行完成者はここで教えを説き始められた〉、〈修行完成者はここで煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に入られた〉といって(これらの場所に)集まって来るであろう。/アーナンダよ。誰でも、祠堂(チェーティヤ)の巡礼をして遍歴し、浄らかな心で死ぬならば、かれらはすべて、死後に、身体が壊れてのちに、善いところ、天の世界に生まれるであろう。」(p. 139)
  • サンガ≒共和制…中村先生曰く「「衰亡を来たさないための七つの法」としてヴァッジ族について説かれたことと、教団について説かれたことは、共通であるか、あるいは少なくとも平行関係にある。この事実は、仏教教団の運営様式が、ヴァッジ族のような共和国の運営様式を採用していたことを示す。」*1(p. 216)
  • 宅地占い?…中村先生曰く「どこに住宅を構えたらよいか、ということについて、占星学に似た〈宅地の学問〉 (vatthu-vijjā) が成立した。…このような学問は一種の占いであり、人心をまどわすものとして、初期の仏教はこれを排斥していた。」(p. 228)

*1:[http://d.hatena.ne.jp/ajita/20100306/p1:title]に「仏教寺院は日本における民主主義のルーツ」という指摘あり。