宗教の詩学

大谷栄一の研究室@blog: 岡田正彦著『宗教の詩学』のご紹介で紹介されていた岡田正彦『宗教の詩学 ―テクストとしての「宗教」を読む―』(グローカル新書7、天理大学附属おやさと研究所、2007年)読了。

本書には、事例としては禅語録や倉田百三出家とその弟子 (岩波文庫)』、『覚禅鈔』、法然『一枚起請文』などの文献や、サンフランシスコに突如現れた巨大な弾丸石などが引かれるが、理論書として佐藤信夫『レトリック感覚 (講談社学術文庫)』、ホワイト『Metahistory: The Historical Imagination in Nineteenth-Century Europe』、ヤーコブソンLanguage in Literature』『言語とメタ言語』、ジェイムズ『宗教的経験の諸相 下 (岩波文庫 青 640-3)』、シクロフスキー『散文の理論』、デュルケーム宗教生活の原初形態〈上〉 (岩波文庫)』『宗教生活の原初形態〈下〉 (岩波文庫)』、オットー『聖なるもの (岩波文庫)』、エリアーデ『聖と俗―宗教的なるものの本質について (叢書・ウニベルシタス)』、ギアーツ『文化の解釈学〈1〉 (岩波現代選書)』、ハイラー『Prayer: A Study in the History and Psychology of Religion』、アリストテレス詩学 (岩波文庫)』などが引かれており、かなり方法論に踏み込んだものとなっている。

しかしながら、「詩学」とは言うものの、言語などを使って「日常」を異化し、その(決して到達し得ない)「外」へと接続することが「宗教表現」なのだ、というテーゼが繰り返されるだけで、何だかちょっと物足りない。メタ(言語)の消去や非日常的な表現、意味よりも形式を先行させる、といった要素は、それぞれ宗教以外の表現活動にも見られるはず(アリストテレスヤーコブソン、シクロフスキーあたりを引いているのだから当然)。「宗教の詩学」と言うのであれば、文学的な体験と宗教的な体験がどこで区別されるのか、といったようなあたりに踏み込んで欲しかった(ないものねだりか?)。

とは言え、宗教研究をしていて、実証主義や文献学以外の方法論に興味がある人は、一読に値するものではないかと思う。私は最近、観仏体験などを研究していることもあって、考えさせられるところも多かった。Amazonとかで買えないのはもったいないと思う。