だからこそ、Googleは神なのだ

本を全部スキャンして検索可能にしちゃえ!というGoogle Book Searchなどは、我々大学教員、研究者の間でも非常に画期的かつ(概ね)歓迎されるべきプロジェクトとして認識されていると思うのだが(それ以前に、まったく無関心な層があることは、とりあえず置いておいて (^_^;;)、これに関してMy Life Between Silicon Valley and Japan - すべての本がスキャンされて「あちら側」に格納されて検索できるようになったらでは、
限られた人々にだけでなく、すべての人に、過去の叡知たる書物の内容すべてが提供される時代に向かっている。
と述べている。それに対して、Junnama Online: だから、Googleは神なんかじゃない。では、
統計的なことは知らない。本当に「100人あたり1人がコンピューターを所有している」のかどうか僕は知らない。 ただ、最後に「 in all languages.」と書いてあるわけだが、これを何も考えずに(あるいは自分たちの「常識」から離れないで) 『限られた人々にだけでなく、すべての人に、過去の叡知たる書物の内容すべてが提供される時代』 といってしまう私たち。 ウェブは万能じゃないしウェブがすべてじゃない。 だから、Google は神なんかじゃない。
と述べている。 私は、例えばAccesibilityに関する授業をするときなども、コンピュータ業界にはびこる?このような「すべての人」はいったいどのあたり、もしくはどれくらいを指しているのか?という点について、しばしば指摘してきた(ちなみに大乗仏教では、衆生の完全な救済を目標に置くが、それはしばしば永遠に到達することのできないゴールとしても認識される。そういう自覚があるからこそ、逆に「完全な救済」に邁進することができたりするのだが、果たしてGoogleにはそのような自覚があるのかどうか、ちょっと気になる。工学的近似というやつで逃げるのかな)。したがって、野田さんの疑問には共感するし、これから私自身も自戒しておきたいことである。 しかし、最後の「だから、Google は神なんかじゃない。」という結論に対しては、逆の印象(というか、半分はあげ足取り (^_^;;)を持った。
Google神の全知全能さを知っているのは、一部の選ばれた仲介者(聖職者)だけである。民は仲介者を通じてのみ、その恩恵にあずかることができる。縁なき衆生は度し難し...。
梅田さんがそんなつもりであのblogを書いているとは思わない。しかし、野田さんの「神」発言は、GoogleをはじめとするWeb 2.0をめぐる識者の言説が、宗教的な言説とよく似た構造を持っていることを、強く示唆(もしくは象徴)しているように思えてならない。このような構造があるということは、Googleは「神」なのだ。 私が代表をしている漢字文献情報処理研究会では、設立メンバーを中心に、自らを「中電教」という宗教教団であると嘯き、幹事を中国風の神様の名前(初代代表は東方教主、私は西方千手)で呼ぶ。これは、この団体が「あちら側」(まさに「彼岸」)のデータベースとかテクノロジーとかを知り、それを旧弊にしがみつく無知蒙昧な研究者へと布教することを目的とした研究会であるということを、きわめて自覚的に表現したものである。 野田さんの「神じゃない」発言は、Googleが「神」である(になりつつある)からこそ出てきた発言であり、Web業界の人の発言としてはプチ宗教改革みたいなものかもしれない。