笠置詣で

大学院時代からの友人で、今は木浦大学で歴史の先生をしている崔鈆植さんが調査のため来日したので、昔から誘っていた笠置周辺のお寺や石仏を車で案内することにした。 わらいぼとけ(1299年)京都市から出るのは相変わらず大変だったが、京奈和道に乗ってからはスムーズ。まずは浄瑠璃寺の九体の阿弥陀様を拝んだあと、徒歩で当尾の石仏群を見ることに。慶州の石仏群には負けるが、鎌倉前後に作られたという当尾の石仏たちもなかなか見応えがある。写真は1299年作と言う阿弥陀三尊像で、通称「わらいぼとけ」。崔さんは、脇侍が本当に観音・勢至なのか疑っていたけど、どうなんだろう。終着点の岩船寺まで歩いたらいい運動に。 当尾の弥勒磨崖仏(1274年)浄瑠璃寺までの復路は、別ルートを通る。途中、なぜか同じものが三つ並んでいる三体地蔵や、左の写真の弥勒磨崖仏(1274年)を拝む。後者は、笠置寺の有名な磨崖仏(下の写真)を写したというが、大きさは全然小さい。山道を歩き回って疲れたが、浄瑠璃寺で昼ご飯を食べ、冷やしあめを飲み、再出発。 山城国分寺跡の碑次の目的地は笠置寺なんだが、途中、恭仁宮跡=山城国分寺跡に立ち寄る。と言っても礎石がいくつかあるぐらいで、今は、木造建築がいい感じの恭仁小学校とコスモス畑(ちょうど満開でけっこうきれいだった)に挟まれた、芝生がきれいな心地よい公園である。ちゃんと見ていないのでよくわからないけれど、国分寺の伽藍配置が通例とは異なりイレギュラーな感じがした。発掘調査報告書などを見れば、論及があったりするのかな。一通り見て出発しようとすると、小学生の下校時間にバッティングしてしまった。安全運転。 笠置寺の弥勒磨崖仏さて、最終目的地の笠置寺は、急な山道を登らなければならない。車でも登れるみたいなので、狭く急勾配を進んで行く。途中、狭い癖にガードレールとかがなかったり(一歩間違えれば崖下に落下 (^_^;;)工事をしていたりと、高所恐怖症で運転がうまいとは言えない自分にとってかなり怖かったが、何とか登りきる。あー怖かった。紅葉もまだなので、山内にはほとんど人がいない。まずは有名な磨崖仏(弥勒、虚空蔵)を拝む。 般若台跡このお寺は大好きなお寺の一つである。有名な弥勒仏の跡(火災で焼失)のノッペリ感、欠如感が好きだし、弥勒信仰、観音信仰などの観仏スポットであり、修験道的な霊場であると同時に、時に学問仏教と揶揄される法相唯識の研究がされた場所でもある(写真は『成唯識論』の研究がなされた般若台の跡)。これらの場所は、私の研究テーマである古代、中世における「学問仏教」的な行為の宗教性、特に観仏信仰との関連を象徴する遺跡なのだ。そのあたりを崔さんに力説して笠置を去る。 京都市内は相変わらず混んでいたが、何とか無事、運転に事故もなく帰ることができた。今度は滋賀や室生あたりの磨崖仏を見に行きたいなぁ。車出すからさ(自信がついた (^_^;;)、誰かいっしょに行かない?