バガボンド33

読んだ。

バガボンド(33) (モーニングKC)

バガボンド(33) (モーニングKC)

この巻は武蔵の内観がテーマになっている。小次郎という人間を理解するために耳栓をして身体内を観察する。あるいは剣を持っては剣と対話するかのように黙々と振り続ける。すでに100人以上斬り殺している超絶的な剣士であるにもかかわらず、これまで身体との対話がほとんど描かれていなかったのは、むしろ驚きかもしれない。あるいはこのマンガは、武道的身体観みたいなものを武蔵の一生という時間軸にあてはめて描いているだけで、実際はこの時間的順序にこだわって読むべきではないのかもしれない。いずれにせよこの巻では、瞑想の身体実践(内観的実践)とかなり共通する武道的身体観が表現されており、たいへん興味深い(その割に、沢庵和尚が、俗世的幸福を強調する役回りになっているのが、逆説的であることよ (^_^;;)。

救済の日

読んだ。おもしろかった。

救済の日

救済の日

この世の終りへの旅 - moroshigeki's blogで感動して以来、西岡兄妹の作品を6冊ほど買ってまとめ読みしたのだが、幽霊話とか街を彷徨する話とか、似たようなモチーフ、シチュエーションの作品が、特に短編に多い(まあ、そういう読み方をするのがよくないのかも知れないが)。もっとも、全部同じ話というわけではなく、『心の悲しみ』の表題作のように、擬西洋風な作品が多い中にある仏教マンガなどがあったり、同じようなモチーフでも少しずつ変化しているのがおもしろかったりする(『心の悲しみ』の「私の幽霊」と『子供の遊び』の「2月の幽霊」など)と言った具合に、それなりにバリエーションもあったりするのだが。

心の悲しみ

心の悲しみ

子供の遊び

子供の遊び

ともあれ、ビジュアル的にもテーマ的にも、良くも悪くも一貫性がある西岡兄妹作品の中で、このキリスト教的終末観を下敷きにした『救済の日』は特異な位置を占めているように思われる(この作品に限らず、この作家は長編の方がおもしろい気がする)。この作品を他の作品群と区別しているのは、主人公の内語の扱われ方ではないだろうか。本作以外の作品では、主人公の内語は主人公の(しばしば絶望的な)境遇の描写であることが多い(その代表が『死んでしまったぼくの見た夢』ではないかと思われる)が、本作では、西岡兄妹作品のそのような面を多分に共有しつつも、内語と境遇とのあいだの隔たりを感じずにはいられない。その証拠になるかわからないが、他の西岡兄妹作品ではしばしば主人公のパートナーとして登場する女性が主人公の心境=境遇の外面化でしかない場合が多いのに対して、本作品におけるパートナー的な存在である主人公の指を咥えた「胎児」は、主人公とは隔絶した存在である、という点は指摘しておいてもよいだろう。また、他作品に比べて言葉による説明(理屈)やわかりやすい象徴が多い(ように感じる)のも、そのような印象を与えているのではないかと思う。もちろん、主人公が世界とは独立の自我を持っていることに対して、近代的な自我だよね、やっぱし、みたいなことを言いたいのではない。しばしば内語=境遇的な自閉的な語り口が、絶望的なモチーフでありながら予定調和的な安心感みたいな印象を読後感として与えていたのに対して、このハンパな?内語≠境遇ぐあいが作品に適度な緊張感を与えているような気がするのだ。そして、この緊張感は、単なる表現上の問題ではなく、この作品のテーマ(それが作家や解説者の言うような「戦争」であるのかどうかについては、些か疑問もあるが)に関わってくるのだろう。
死んでしまったぼくの見た夢

死んでしまったぼくの見た夢

ザ・グレート・サスケの飛ぶ教室

マッスル坂井がらみということで読んだ。

ザ・グレート・サスケの飛ぶ教室

ザ・グレート・サスケの飛ぶ教室

うーん、正直言えば期待はずれ。明らかに対談なのに、インタビュイー(サスケ)とインタビュアー(坂井。ただし「――」で、名前は一回しか出ない)みたいな形式で編集したのが不可解(まあサスケ20周年記念ということなのだろうけど)。サスケのトンパチ的爆発力と、マッスル坂井の考えすぎるキャラを対談させたら、前者が後者に飲み込まれてしまいました、みたいな展開になっているのに(マッスル坂井は聞き役になってはいけないということなのかな)。

奈良伝説探訪

出たのはちょっと前ですが、Amazonに登録されたみたいなのでご紹介。少しだけ執筆させていただきました。

奈良伝説探訪

奈良伝説探訪


目次は以下の通り。

  • はじめに
  1. ならまち界隈を歩く
    • 道場法師の鬼退治
    • 聖宝と餅飯殿
    • 采女と猿沢池
    • 御霊神社と道祖神
    • 中将姫誕生の寺
    • 饅頭の神様・林神社
    • 吉備塚と奈良教育大学の七不思議
    • 玄纊と頭塔
  2. 奈良の東を歩く
  3. 奈良の西を歩く
  4. 奈良の郊外を歩く
    • 実忠と笠置寺
    • 龍の伝説―猿沢池と室生―
    • 神野山・天狗さんの石合戦
    • 大柳生の太鼓踊り
    • 龍腹寺伝説地帯
    • 西九条の蛇塚の由来
    • 帯解寺と染殿皇后
    • 霊山寺の祖小野富人
    • 中宮寺の天寿国曼荼羅繍帳
  5. 奈良から歩く伝説と信仰の旅
  6. 付録
    • 引用文献の一覧(項目別に作成)
    • 語句索引
    • 編者・執筆者紹介
    • あとがき

遷都1300年の奈良ですが、このあいだのNHKのドラマみたいな史実ベースではなく、伝説ベースの観光案内なのが類書とは違うところ。たとえば私が担当した「三月堂と蜂の宮」では、三月堂の執金剛神像の頭部のかざりが一部欠けているのは、天慶の乱平将門の乱)の際、この像の前で朝敵降伏の法を行っていたところ、像の右錺が大蜂となり、また像からたくさんの蜂が出て東へ飛んでいき、平将門をやっつけたという伝説を枕にして、それに関連する話などをいくつか紹介したり観光案内をしたりしている。

「奈良に江戸時代はない」みたいなことを言う人がいるくらい、奈良は奈良時代とそれ以外の時代への関心の差が激しいが、伝説をベースにすることで、古代から近現代までを接続することができるのがおもしろい。奈良に限ったことではないが、現在奈良に残っている遺跡や神社仏閣は、古い時代に根拠があるものだとしても、近世や近代に今の姿になったものが多い。1300年ブームということで、目の前にある近世のものがないがしろに(スルー)されがちな昨今、こういう本も面白いのではないかと思ったりもするのである。

ということで買ってください (^_^;;

魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」

ようやく読み終えた。こいつは確かに「超傑作」*1というべき作品かもしれない。

けっこうご都合主義だなぁと思うところもあるが、それがまったく気にならないで、ぐいぐい読ませる。キャラクターに人物名を与えないという、ある意味キャラ/キャラクターの本質をついているとも言える(ゲーム由来の?)形式に加え、2ちゃんねるのスレという形式をうまく利用した次々に画面が切り替わる叙述形式が、この「読ませる」に貢献しているような気もするが、そのへんはよくわからない。ともかく、読み物として抜群におもしろい。

またこの作品は、ドラクエ的な世界観を下敷きにしていることは容易に読み取れるが(もはやドラクエは古典的教養なんだなぁ)、それだけでなくこの手のゲームに対するすぐれた批評にもなっている点にも注目したい。この作品は、ドラクエ的なゲームの内部のキャラクターたちがゲームの「外側」に出ようとする物語である、と言えるのではないか(ネタバレになるので詳しくは書かないが)*3

*1:[http://d.hatena.ne.jp/izumino/20100422/p1:title]

*2:このまとめサイトにはお世話になったが、トップ絵はかなり私のイメージと違うので見ないふりをしていたり (^_^;;

*3:追記:私がここで書こうとして書かなかったことを、いずみのさんが的確にまとめてくださっている。→[http://twitter.com/izumino/status/14077001753:title] Twitter上でのこの物語をめぐる議論(出版化などの具体的な議論も含む)がアツい。

映画ドラえもん のび太の人魚大海戦

チビたちのリクエストに応えて、ゴールデンウィークに観てきたよ。

ドラえもんの映画には涙腺をやたら刺激しやがるものが多いので、子供と一緒には正直観たくなかったのだが (^_^;; この映画に関しては全くと言っていいほど刺激されなかった。この作品ののび太は素朴=バカを装いながらも、「君ならできる!」「友情最優先!」的な変に達観したセリフを吐きまくるので、あれは正直どうかと思う。『のび太の恐竜』でのピー助との別れシーンのような、フィクションの中の少年だけが経験できる喪失感みたいなものが、ドラえもん映画(って、たいして観ているわけではないが)にはあって欲しい。