ゲーム脳とフリーメーソン - もろ式: 読書日記 のコメント欄に、クリエイティブ・ライティングのネタとして「前やろうとしてうまくいかなかったんですが、Wikipediaに投稿+メンテという課題とかはどうでしょう」と書いたら、2008-11-18 - 森猫日記 - Wikipediaグループでいろいろコメントをいただいた。いろいろ失敗例もあるとのことで、とても参考になる。先の安易な発言については反省。コメントをいただいた方々には感謝。
ところで「Wikipediaに投稿+メンテ」というのは私が思いついたことではなくて、私が担当しているゼミ用のブログ情報歴史学研究室: Wikipediaは信頼できるか?という問いかけで「ゼミの課題として、まだ存在しない Wikipedia のエントリを学生がそれぞれ一つずつ作成して、それを1年間メンテナンスし続けるなんてのはどうでしょう」という提案をしていただいたのがきっかけである(もちろん先のコメントでの発言の責任は私にある)。
ついでに書いておくと、先日コメンテータをやったウェブ経由の神道・日本宗教―インターネット時代の宗教文化教育のゆくえというイベントでもWikipediaは(否定的にも肯定的にも)大きな話題となったが、その場でも「学生が、Wikipediaの不正確なページを丸コピーしてレポートを出したりするのが問題だと言うんだったら、授業の一環として学生にWikipediaを直させるというのはどーよ?」という意見も出て、それは割と好意的に受け取られた(と記憶している)。この程度の経験しかないが、「学生がWikipediaに書く」という実践に教育的な効果を期待している(してしまう)大学人は、(私も含めて)そこそこいるんじゃないかという気もする。
ただ、そのイベントで「私がWikipediaに書いたりした数少ない経験から言いますと…」みたいなことを言ったら(ちょっと自分を美化しているかもしれない (^_^;;)、皆が「へぇー」というような目で見たのが印象的であった(その後「Wikipediaに書く」ということについて、いろいろ聞かれた)。その雰囲気から推察するに、イベントの参加者の中でWikipediaに実際に投稿したことがあったのは私だけしかいなかったようである。Wikipediaに対して知った風なことを言う大学人(私だ (^_^;;)の多くは、Wikipediaに書き込んだことがないのかもしれない。
ところで、先のコメントに「前やろうとしてうまくいかなかったんですが」と書いている通り、私は一回、ゼミで試みて、失敗している。利用者:Moro - Wikipediaの「ゼミ」の欄はその名残である。恥をさらすようだが、私の失敗例を書いておこう。当時は、もちろんいきなり書かせることは考えていなくて、
- まずゼミ生にアカウントを作らせ、
- 自分の「利用者」のページで下書きをさせ、
- 私がチェックして大丈夫そうだったら投稿させる。
という流れを考えていた。しかし、下手を打たないように散々脅してしまったため、そもそも学生は怖がって一行も書くことができず、課題として成立しなかった、という次第である。今思えば、学部生には敷居が高すぎた、というより、私の見通しの甘さだろう。
ただ、Wikipediaという「書く場」を教育で利用することができないだろうか、という希望は捨てていない。学部生だって、きちんと教育すれば書けると思う。もちろん、大学には卒業論文という大切な「場」が制度として用意されているのであるが、卒業論文が個人的な作業になりがちであることには以前から不満を持っていた。また、卒業論文は社会に発信するものであるという建前があるが、どうしても教員と学生との一対一な関係が強く出てしまう。其れに対して、完全に大学の外に規準があるWikipediaという場は魅力的に映る(今思いついたが、企業がインターンシップをやるように、Wikipediaインターンシップとかあるとお互い幸せかも。って他人任せは良くないな (^_^;;)。とは言え、「不幸」を招かないためにも、相応の準備が必要であることは間違いないことは、今回いただいたコメントで改めて痛感した次第である。