方法と対象、研究と教育 続きで引いた伊藤剛さんの「秘教」発言にひっかけた余談。
方法論と教科書の話をしていたこともあって「美術史を超えるための方法論」を網羅的に紹介する教科書『ヴィジュアル・カルチャー入門』*1をぱらぱらめくっていたら、ここでも「秘教」という言葉を見つけた。
たいていの学生が大学でヴィジュアル・カルチャーを研究しようと決心するのは、美術、映画、テレビなどを見ることが好きだからである。しかし、彼らはお気に入りの主題について書かれたさまざまな理論を読み、それを使いこなせるようにならなければならないのだと知ると、驚き、うろたえてしまうかもしれない。しかもそうした理論の多くは常識とはかけ離れているようにも見え、しかもしばしば秘教的で、密度の高い入りくんだ言葉で書かれており、何とも飲み込みにくいものなのである。(p. 55)
ちなみにこれが書かれているのは第4章「理論とどのようにつきあうか?」であるが、その冒頭には、テリー・イーグルトンの次のような引用がある。
理論一般に敵意を持つ人の多くは、実は、他人の理論に敵対しているのであり、自分自身も理論を持っていることを忘れてしまっている。*2
至言だ(要するに、これが引用したかった)。
皆さん、同じ悩みを共有してるって感じでしょうか。ちなみに私自身の場合、理論と実例のどちらも好きだが、両者を結びつけて研究することにはあまり興味が持てなかったりする (^_^;; がんばらないと。