「よくあるメール」補足

「よくあるメール」と題したid:moroshigeki:20070513:1178991639は、「近頃の若いもんは」的な内容なのである程度受けるだろうという確信はあったが、こんなに反響があるとは思わなかった。セッション数がいつもの40倍ぐらいに跳ね上がっている(グラフ参照)。いろいろなご意見の中で、私の考え足りないところを指摘していただき、とてもありがたい。と同時に、文章能力のなさを顧みず、推敲しないでばーっと書いて流したために、きちんと伝わっていない点もあるようなので補足しておきたい。

寄せられた多くのご意見には「ケータイ文化 vs パソコン文化」という図式で「よくあるメール」を読まれた方が多かった。確かに私も、そういう図式を念頭に置きながら書いている面はある。そういう意味では、私のあの文章はパソコン文化側からのオリエンタリズム的な態度とも言える(授業の中では、「パソコンのメールが絶対正しいなんてことはないんだよ」みたいな感じで、むしろ文化相対主義的なコメントをしているが)。ただ、ケータイ(あるいはパソコンのメーラ)というメディアによってどのように思考が制限されるのか?という論点は重要だと思うので、それ自体を否定するつもりはない。

しかし、「よくあるメール」の主旨は「ケータイ文化 vs パソコン文化」にあるのではなくて、私の授業をとっているものの個人的には一度も接したことがない学生(前回はここまで詳しくは書いてませんでしたね、すいません)から初めて届いたメールが「明日休みます。」しかなかったことへの驚きである。どなたかが「プロトコルの違い」と仰っていたように思うが、プロトコルとは約束事とか儀礼のことである。小泉さんが北朝鮮に電撃訪問したときも、外務省だかどこかのお役人さんがあちらのお役人さんと水面下でごにょごにょして、プロトコルを確立していたからこそ実現したのである(小泉さんは水面下のごにょごにょを隠すのが上手だった)。関係ないが、インターネットの世界はプロトコルの世界である。インターネットの世界は、大げさに言えば、瞬間瞬間が未知のハードウェア、未知のサーバ、未知のユーザとの接触である。「儀礼」というと「堅苦しい」みたいなネガティブな印象を持ちがちだが、プロトコルという用語はインターネットのおかげかネガティブな印象を持たない。プロトコルという言葉からネガティブなイメージを多少なりとも払拭しえたのは、インターネットの功績ではないかとさえ思っている。

話を元に戻すと、学生たちのプロトコルは、もしかすると「プロトコルが存在しないように振舞うべし」というプロトコルなのかもしれない。友達っぽく接することが最も優れたコミュニケーションの形態であると考えている「若い人」も多いと聞く。また、政治家の「本音」を聞き出せば、すべてが解決するんじゃないかと考えている田原総一郎的メンタリティみたいなのも、けっこう前から普及している気がする。「マナーを知らない」というのは、プロトコルが確立すれば解決したりする問題である。しかし、そもそもプロトコルが存在しないことを前提とするような態度をとられると、こちらとしては面食らうしかない。面食らったままだと負けてしまうので、相手と共有できそうな功利主義的な空間に引きずり込んでいるのである(宇宙刑事ギャバンみたいですな)。しかし、功利主義的な議論では、最終的には負けは見えている。つまり、儀礼とは、短期的には最も非経済的な行為だからである。

今回のケースは、「よくあるメール」というタイトルからもわかるように、特殊なケースではない。また、「そんな学生、落第させてしまえ」というご意見もあった。たぶん、そのほうが教育効果がある、とお考えなのだろうと思うが、私はその意見に与することはできない。そういう学生を、そのままほっとく方が、ほっておかない場合よりも、社会全体のコストは嵩むと思う。後者のコストを、私(大学)が進んで被る必要もないのかもしれないが (^_^;; それはそれ、やはり社会人としての責任感みたいなものが、こんな私にもあるのである。