もう牛を食べても安心か

福岡伸一 もう牛を食べても安心か(文春新書416) 内田先生のブログで発見、速攻買い。昨日の朝日の書評でもとりあげられていたが、確かに「狂牛病の本」という評価をされてしまうのはちょっともったいない、生命とは何かについていろいろ考えさせられる(というか、哲学、思想、宗教、情報の研究をしている人にとっては妄想の肥やしになる (^_^;;)本である。 分子を単位とする極めて巨大な情報システムという環境=生命の見方は、日経サイエンス2005年2月号の計算する時空 量子情報科学から見た宇宙という特集にも通じて、非常に興味深い。 この本の中で、朝日の書評も書いている宮崎哲弥氏が、シェーンハイマーの動的平衡論と仏教の縁起論(って、結構いろいろあるんすけど、多分宮崎氏的には松本史朗氏的なやつかな)と通じるねと言っている対談を引用している(p. 103)。もとの対談を読んでないのであれだが、確かにそういう面はあるだろうと思う。ただ、縁起論には動的平衡のシステム論的な観点はないし、またしばしば指摘されるように、法界縁起のように縁起論を時間的ではなく空間的に把握する傾向があることを考えると、場合によっては動的平衡論の時間論的な側面を見落とすことになるかもしれない(宮崎氏は松本氏的なので、法界縁起は仏教じゃない!とか言いそうだけど (^_^;;)。 仏教でも、常にうつろい続ける(宗教的)時間の中で、なぜ我執が生じるほどの自己同一性が生じるのかが、結構大きな問題だったわけで、その意味では記憶を扱っている章もちょっとおもしろい。 あと、狂牛病は、脳みそとかのやばいところに限らないそうなので、ちょっと怖くなったのであった。