『Review House 03』所収の石岡良治×井上明人×濱野智史×黒瀬陽平「「批評」としてのゲーム実況動画」を読んだ。ずいぶん長い対談であったが、いくつか注目すべき論点があったように思う。
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個人的に勉強になったのは、ゲーム性のひとつとしてのチュートリアル性。以前、『FRAGILE 〜さよなら月の廃墟〜』について書いたエントリ(FRAGILE終わった - もろ式: 読書日記)で
一応、アクションRPGということで戦闘があるのだが、難易度が低くボス戦を含めて敵との戦闘で死んでゲームオーバーということがほとんどないうえ、敵キャラのバリエーションも数えるほどしかないので、戦う喜びがほとんどない。何のためにアクションRPGにしたのかよくわからない。ただ、“適度”な強さの敵がいる→そこが正しいルートである、というメッセージをプレイヤーに伝達するために敵が配置されているという感じだ。
なんてことを書いたが、これはまさにRPGの敵キャラがチュートリアル的な存在であることを言っていたのであった。ドラクエの快楽は、ストーリーの展開にはなくて、敵キャラを倒しつつ成長して行く単純作業の方にある、というのが持論であり、ドラクエIXのクエスト戦略の成功はまさにそれを裏付けるものであると思っているのであるが、チュートリアル性というのはそれを理論的に考えるためのひとつの視角となりうるのではないかと思われる。
タイトルに「ゲーム実況動画」とあるが、取り上げられたゲーム実況動画はたとえばこれ:
もともと定められたルールがあるゲームに、ユーザが別のルールを持ち込んで別の楽しみ方をしているのが、ゲーム実況動画の批評性、ということらしい。ニコ動のゲーム実況動画は、最初に見たものがつまらなかったのでそれ以来敬遠していたのだが、確かにこの実況は(批評性云々は抜きにしても)おもしろい。
濱野氏が適宜まとめをしていたけど、ちょっと強引すぎるんじゃないかと思った。