『宇治拾遺物語』の中の昔話

南都文化研究組織でいつもご指導いただいている廣田收先生よりご恵贈いただきました。ありがとうございます。

『宇治拾遺物語』 の中の昔話 (新典社新書39)

『宇治拾遺物語』 の中の昔話 (新典社新書39)

宇治拾遺物語』に収録された説話群の中にある、一般によく知られた昔話と同じような説話(瘤取爺、腰折雀、藁しべ長者・蜂の援助、博徒婿入・鳩提灯、猿神退治)について、日本の民話だけでなく、東アジア各国やヨーロッパの類話と比較しながら、構造主義的に読み解こうというもの。レヴィ=ストロースの『構造人類学』*1などを引いており、国文学よりもそっちの方に親近感を持つ者としては非常にすんなり読めたが、廣田先生曰く:

…昔話は、今でも国文学の研究としては、一般にはなお認知されていません。国文学をめざす大学生であった私が、益田勝実氏に憧れ民俗学に興味を抱いていたころ、ある国立大学の知人は「田舎の年寄りの話なんか聞いて何になるんだ」と吐き捨てたことがあります。私は今だに、彼のその傲慢な言葉を許すことができません。しかし残念ながら国文学の世界はそのころとあまり変わっていないようにも感じます。(p. 10)

だそうで、へーと思う次第である(でもまあ、仏教学もあまり変わらない)。『宇治拾遺物語』のことは全然知らなかったし、方法論的にもたいへん勉強になった。

*1:[asin:462201971X:detail]