本山合宿2日目

(この日記は3月14日に書いています。)

合宿2日目も冬のような天気であった。寒さが体にこたえるのは相変わらずだが、半徹夜状態の昨日に比べれば体調は良い。午前中の資格別技術講習は、二段抜き、押小手、逆小手裏返し投げ。後の二つは苦手なので、この講習はありがたかった。昼には献血。午後は初日と同様、学年別講習とグループワーク。

ちなみに資格別講習が行われる本堂には、達磨大師+那羅延金剛+密迹金剛という達磨三尊像が。
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練習後の道場開放では、うちを含むいくつかの大学の有志で乱取りの練習が始まる。うちの主将もなかなかやる方だと思っていたが(私は全然かなわない (^_^;;)、世の中は広いもんで、もっと強い学生さんがいる。自分より高いレベルの学生と拳を交わしたうちの主将は、乱取り終了後も「もっと強くなりたい」と興奮気味であった。いい経験をさせていただいた。

宿舎に帰ってからは丸亀ぽかぽか温泉へ。同じ宿舎の他の大学の皆さんには悪いなぁと思いつつも、2日ぶりの熱い風呂に心身ともに癒される。

本山合宿1日目

(この日記は3月13日に書いています。)

午前0時。大学の正門に車を停めてしばらく待っていると、少林寺拳法部の学生がやってきた。これから少林寺拳法の本部がある香川県の多度津へと、学生を乗せて深夜のドライブである。9日の朝から始まる大学生の本部合宿に間に合わせるためには、この時間に出発するしかない。金銭的に苦しい学生を合宿に参加させるために私が車を出すことにしたのだが、月曜日は一日会議であったため、このような強行軍となったのである。もう一人、三条通のコンビニで学生を拾って、いざ多度津へ。

深夜の高速道路はガラガラで、全くスムーズに瀬戸大橋を渡ることができた。出発前に少し仮眠をとったのと、助手席の主将がずっと話し相手になってくれたおかげで、眠気に悩まされることもなかった。しかし、途中から雨が振り出し、瀬戸大橋を渡る頃にはみぞれ混じりになっていったのが、不安をかきたてた。まだ朝日が見えぬ5時ぐらいに丸亀市内のマクドナルドで軽食をとったあと、本部の駐車場で2時間ほど時間を潰すことにしたが、自動車の席ではなかなかゆっくりすることができない。フロントガラスに叩きつけるようにふる雨がうるさくて仮眠をとることもできないまま、集合時間になる。

はじめての本山合宿は、3月だというのに真冬のような寒さの中、始まった。開会式場の錬成道場にはストーブが焚かれていたが、それ以外の場所は要するに冬の体育館である。そんな中を裸同然の道着と裸足で歩きまわるので体が縮こまる。それでも、基本練習が始まるとだんだん体が暖まっていく。とは言え、ほぼ徹夜状態なので、だんだん吐き気がしてくる。午前中の資格別技術講習でやった十字受蹴りで、回し蹴りを受け損なって手首がぷっくり腫れてしまった。

午後の前半は学年別技術講習だったので、茶帯の私は1年生のクラスを受講した。その後、グループワーク修練という時間割になっていたので何かと思ったら、なんと大学の初年次教育などでよく行われるグループワークであった。少林寺拳法の技術向上という制限はあるものの、大学混在の6人1組のグループを作って、問題発見→目標設定→練習計画策定→練習→成果発表(プレゼン)というプロセスを4日間で行い、問題発見とその解決、そして社会性を養うというものであった。これはすばらしい。社会人基礎力にも通じる。特に、花大少林寺拳法部には現在2名しか部員がいないので、こういう機会は貴重である。これも1年生のクラス(団体演武を作るという課題)を脇で見学させていただいた(私も学生のグループに混ざるという選択肢もあったが、1年生に30代の教員が混ざるのはあまりよくないと判断した)。見取り稽古というやつである。

もっとも、もう少し工夫ができるのではないか、と思うところもあった。例えば、グループワークが終わった後、各グループで立てた目標を発表する際、「自己満足でもいいから楽しく演武をやりたいと思います」という“目標”は、問題発見もしていないし、社会性の養成にもつながらないので、明らかに今回のグループワークの趣旨にかなっていないが、指導員の先生はそれに対してコメントすることはしなかった。もちろん、運営面、特に時間的制約もあるだろうし、そもそもこのグループワーク修練の趣旨に私が過剰に思い入れをしているだけかもしれないが、せっかくのすばらしいコンセプトの修練がちょっともったいない気がした。

そんなこんなで一日目の日程を終え、道場開放で軽く乱取などをしたあと、宿舎へ向かうために駐車場へ。外は軽く雪が積もっていた。ワイパーを動かすと半ば凍ったみぞれの塊がざらりと落ちる。こんなに寒かったのか。地図を見ながら、夜の冷たい雨の中を車を走らせるが、目的地だと思われるところに着いても宿舎らしいものが見当たらない。30分ほどぐるぐる探しまわっても見つからない。たまたま同じ宿舎に泊まっているという別の大学の学生さんを見かけたので聞いてみると、場所はあっているが「廃墟みたいな、アパートみたいな建物」なので、よく見ないと見つからないという。なんと。もう一度、その場所に行ってみると、確かに「廃墟みたいな、アパートみたいな建物」がある。疑心暗鬼になりながら車を駐車場へ停めて中に入ると、たしかにそこが宿舎であった。
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お風呂はぬるかった。主将はホームシックにかかって、「家の犬が恋しい」などと言い始める。もう一人は疲労困憊なのか、宿舎に着いて夕食を食べたらすぐに寝てしまった。
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外は相変わらずの荒天ですきま風も吹いていたが、薄っぺらい布団と毛布はなぜか異様に暖かく、泥のように眠ってしまった。

本山合宿

またまた間があいてしまってすいません。いろいろな書類を書くのに忙殺されていて読書もママなら無い状態です。いや、研究用の本は読んでますが(現在は袴谷憲昭先生の『仏教教団史論』を読んだりしています)、前にも書いたように、ここではあまりそういうのは取り上げていません。

ところで3月9〜12日は、香川県の多度津町にある少林寺拳法の本山の合宿に参加しますので、ほぼインターネット系は音信不通になると思います。携帯電話とかはつながると思いますけど。あしからずご了承下さい。

少林寺拳法の修行を初めてから初めての本山なので楽しみです。ただ、学生用の合宿について行く関係上、どの程度練習に参加出来るのかはわかりません。大学少林寺拳法部所属の社会人拳士、という謎な位置づけなので、こういう時に困ります。まあ、行ったら行ったでなるようになると思います。

花大。

「花大。」という大学擬人化同人マンガを見つけた。

http://homepage3.nifty.com/ennsoi/hanadai/index.html:image=http://homepage3.nifty.com/ennsoi/hanadai/hanadai.gif

現在のところ、擬人化されている大学は旧帝大+首都圏の有名大学みたいな感じだが、試しに「花大つながりで花園大学もよろしく」みたいなメッセージを送ったら、

拍手メッセージありがとうございます!
サイト開設後、実在する大学様と呼称が被ってしまう事に気づきまして…。
この先、万が一にも他の方にご迷惑をおかけする事がないよう、
キリの良い時点でサイト改装と共に名称も変更するつもりでいます。
そこらへん誤解を招く点などを改善できてから、ぜひ描かせていただきたいと思っています!

というお返事をいただいた。おお、これはうれしい。どんなキャラクターになるか、楽しみにしていましょう (^_^)

日本における人文科学とコンピュータ研究の現状と課題―日本と国際動向の関係を探る―

昨日、第1回文化とコンピューティング国際会議の一セッション「日本における人文科学とコンピュータ研究の現状と課題―日本と国際動向の関係を探る―」に参加した。気まぐれでTwitter実況してみたので、リンクを貼っておく。

下田正弘先生がハイデガーを参照しつつ、人文学におけるコンピュータ利用の問題は哲学における技術や道具の問題に接続できると述べたのは印象的であった。私はTwitterでもつぶやいたし、(司会の永崎さんにTwitter上でふられた―これは心臓に悪かったw)コメントでも述べたが、コンピュータ時代を念頭に置いた技術・道具の哲学的議論としては、ベルナール・スティグレールも参照した方がいいかな、と思う。コメント中で述べたスティグレールの電子図書館論「リーディング・マシーン 読書の時間と新しい記憶の道具」は、以下の本に収録されている。

書物の言語態 (シリーズ言語態)

書物の言語態 (シリーズ言語態)

ちなみにスティグレールについては、ハイデガーの影響よりも、デリダや、デリダが参照したルロワ=グーランあたりだと思っていたので、Wikipediaの説明はちょっと意外(まあ『技術と時間』や『偶有からの哲学』は研究室に届いたばかりでまだ読んでないので、本当のところはよくわかっていない)。

身ぶりと言葉

身ぶりと言葉


技術と時間1 エピメテウスの過失

技術と時間1 エピメテウスの過失


偶有からの哲学-技術と記憶と意識の話

偶有からの哲学-技術と記憶と意識の話

天才 勝新太郎

読んだ。圧倒された。

天才 勝新太郎 (文春新書)

天才 勝新太郎 (文春新書)

私は昔から『座頭市』シリーズが好きで、DVDを借りたり買ったりしながらたいがい見たのではないかと思う。ご多分にもれず、私の勝新に対するイメージは、一昔前のプロレスラーと同様、豪快でむちゃくちゃなキャラクターであった。しかし、本書を読んでイメージががらっと変わった。勝新は、映画が虚構と真実の二重写しであるのと同様、座頭市と自分との区別がつかず、勝新太郎というキャラクターと奥村利夫という人格とのあいだで苦しんでいた人だったのだ。本書のタイトルには「天才」とあるが、ここに描かれているのは所謂「天才」の姿ではない。常に新しい表現を求め、己を更新し続けることこそが映画だと思い込んだ、神々しいまでに破滅的なキャラクターだ。

脚本がないと言われている北野映画を見慣れている者からすると、脚本家の脚本を叩き台としてしか用いず、現場での感性で撮影を進めて行ったという勝新の方法が、なぜあのように破滅へと向かっていったのかは理解し難い面もある(映画が産業であったからこその苦悩だったのだろうか)。勝新の代わりに『戦場のメリークリスマス』に出場した北野武が、後に映画の道に進んで成功し、『座頭市』をリメイクした*1というのは、何かいろいろ因縁があるのかもしれない。

最後に名言をひとつ:

採算を考えるなら会社をやる意味がないんだよ!

*1:[asin:B0000A9D4A:detail]

最近更新してないのは

Twitterのせいです (^_^;;

明日日曜日はRプランニング興行 E-COSMOS 2.21大阪大会を観に行きます。プロレスです。えーと、半分は研究活動です (^_^;;

火曜日は第1回文化とコンピューティング国際会議にて「文字情報処理研究の日本と海外」という題でしゃべってきます。プログラムに名前が載ってませんが (^_^;; 23日の「日本における人文科学とコンピュータ研究の現状と課題―日本と国際動向の関係を探る―」というセッションで、午前中の最後(11:10〜11:30)に登壇します。Unicodeに代表されるUniversalism (universal repertoire主義)とRubyなどに代表されるコードセット独立モデル (Code Set Independent Model) とを対比させ、前者にヨーロッパの普遍言語の残滓を、後者にサピア=ウォーフの仮説的なメンタリティを見ようという、大雑把な“見立て”をしようと思っています。

あとはひたすら物を書いています。がんばるぞー!おー!