最近また愛国心教育が話題になってきたので。
- 作者: テッサ・モーリス=スズキ,Tessa Morris‐Suzuki,伊藤茂
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2007/09/05
- メディア: 単行本
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- 日本の愛国心は、明治期に、近代の概念とともにヨーロッパから輸入されたもの(8ページ〜)。
- 13世紀までヨーロッパでは、ネーションが帰属意識の対象となることはなかった(10ページ〜)。
- 14世紀頃から始まったパトリオティズムは、宗教的な「血の犠牲」の観念を含む。祖国のために人を殺し、死ぬことこそが「至上の犠牲」(13ページ)。
- 歴史的に見れば、ムスリムには信仰共同体(ウンマ)に対する帰属意識(コスモポリタニズムに近い)はあっても、ナショナリズムやパトリオティズムは見られない。近年のムスリム・ナショナリズムは西欧の植民地主義への反応(13ページ)。
- 18世紀の、共和制や民主主義を提唱する革命家たちも、王権に対してネーションを対置する形で愛国心を発露した(16ページ)。
- 会社も愛社精神を重要視するが、単なる訓示や社歌を歌わされるだけの愛社心の涵養は、組織の成功には結びつかない(22ページ)。
- 「愛国心とは、「私たちの国はどんな国か」や「私たちの国がなりうるもの」を表す一連のイメージに対して、人々が感じる愛情のことである。」(25ページ)そして、人々の抱くイメージは多種多様。
- 「日本でも、愛国心は当初、「革命的」な思想であった。」(28ページ)
- 大日本帝国は、植民地朝鮮にのみ「愛国日」を導入した。「愛国心を涵養しようとする上からの取り組みは、それらの臣民の自発的な愛国感情に政府が疑問を抱いている状況で、とくに強化される傾向がみられる。愛国心が本当にすべての人々が抱く自然で自発的な感情であれば、そもそも政府はそれを促す必要ななかっただろう。普通の人々が、十分愛国的でなかったり、間違った愛国心を持っていたりするからこそ、政府は愛国教育のキャンペーンを行う必要があったのである。」(33ページ)
- 第二次大戦後から1960年代初頭までは、むしろ日本における愛国心をめぐる議論がもっとも活発で生産的な時代のひとつであった。「しかし、戦後の愛国心は明治時代や一九三〇年代のそれとは性格が異なる。「愛国心」の意味は人によってさまざまである、という幅広い認識がみられた。…全体として一九四〇年代後半と五〇年代の「愛国的行動」は、倹約でも自己犠牲でもなければ、日の丸でも君が代でもなく、自分の国をよりよい国にしようとする作業の中で定義される傾向がみられた。」(39ページ)
- 愛国教育には、愛国的な行動のモデルとして提示される人物がつきものである。日清戦争で、最後まで自分の持ち場を離れずにラッパを口に加えたまま死んだ木口小平など*1(42〜43ページ)。
- 「…日本でもジンゴイズムや外国人恐怖症(ゼノフォビア)が増大しつつある。日本のケースでは、これらの醜い感情の主なはけ口の一つがインターネットであり、そこはチャットグループによる憎しみと人種主義的な言葉で満たされている。…愛国的なシンボルと、さまざまな「他者」に向けられた憎しみの言葉は結びつき、国に対する弱々しい従属的な愛情を表す。それは「自分の国のために何ができるか」と問いかけるのではなく、「自分の国の強さは、日常の恐ろしい問題から私を守ってくれるのか」と問いかける愛情である。」(64ページ)
こういう本が500円程度で買えるんだから、日本ってすばらしいよね(←愛国心)。