プロレス、あるいは虚実の間

2007年に発表した(プロレスの虚実をめぐる二、三の事柄 - moroshigeki's blog)フィクション論的プロレス論が、「プロレス、あるいは虚実の間」という題で活字になりました。

フィクション論への誘い―文学・歴史・遊び・人間

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基本的には入不二基義さんの「「ほんとうの本物」の問題としてのプロレス」をベースにしたもので、真新しい議論はほとんどありません。

足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想

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新しい論点を強いてあげるとすれば、プロレスにおける「本当(シュート)かどうか」は、リングの上だけでなく、リングの外においても発生するのであり、ファンはそれを含めて楽しんでいるのではないか、というようなことを書いてみました。

…プロレスは演劇とよく似ている面があると言えるだろうが、一方で演劇とは異なる面も存在する。たとえば、ある演劇の舞台で殴り合いの格闘シーンがあったとしよう。台本上はやっつけられるはずの悪役の演技のパンチが、たまたま主人公にクリーンヒットしてしまい、主人公が舞台上で失神してしまったとする。演劇においてこれは事故であり、場合によっては芝居が中止され、役者も観客もフィクションの世界から現実に引き戻されることになる。しかし「試合」が行われている(ことになっている)プロレスのリング上では、そのような事故と演技との区別は非常に難しい。しばしばレスラーは互いに「二度とリングに立てないようにしてやる」「ぶっ殺してやる」というようなお決まりの罵詈雑言を投げつけ合うが、実際に復帰が難しいほどの大きなケガをリング上でしたり、ときには死に至ったりもするのである。

さらに言えば、レスラーどうしやレスラーと興行主、興業会社間の関係悪化などが原因で、あるいはもっと単純にレスラーが相手の攻撃にカッとなったりして、あらかじめ決められたブックやアングルが破られる(守られない)、ということも起こる。一方のレスラーがブックを破って実際の格闘技のように真剣勝負を始めてしまうことを「シュート(セメント)を仕掛ける」などと言うようだが、プロレスの興業のなかにはシュートを仕掛けているように見せかけたブック、アングルというのも存在するため、右の「事故」同様、観客がリング上で起きている試合をシュートなのかそうでないのかを区別するのは困難である。

ご笑覧頂ければ幸いです。