「なかなか変わらない世界 Digital Poetryに寄せて」というエッセイを寄稿しました。
1960年代のComputerized Japanese Haiku*1などから始まるDigital Poetry(コンピュータによる詩作)について紹介しつつ、コンピュータ上での創作活動だけでなく、デジタルテキストの背後にあるコードそのものを扱うような創作のおもしろさがもっと知られるべきではないか、みたいなことを述べてみましたが、ほとんど俳句のことが出てこないので、場違いなこと甚だしいです。
なんでこんな場違いな仕事を引き受けてしまったのか。幾つか理由があるのですが、ひとつは大学生になったばかりのときに気取って近代日本の詩集とか句集とかの復刻本を買ったりしていた中二病ならぬ大一病 (^_^;) がぶり返したためというのもあります。あるいは最近、マリー=ロール・ライアン氏がコンピュータゲームなどのMultivariant Narrativesについて、文学研究、ナラティヴ研究の延長線上で分析しようとしているのが気になっていて、Narrative As Virtual Reality: Immersion and Interactivity in Literature and Electronic Media (Parallax: Re-Visions of Culture and Society)とかAvatars of Story (Electronic Mediations)をパラパラめくったりしているんですが、その中でDigital PoetryとかCode Poetryとかを扱っているのを読んで、詩を生成するプログラムなどに興味を持ったり、「すべてのディジタルテクストの振る舞いは、不可視のプログラムのコードによって規定されている」というライアン氏の言葉に頷いたりした、というのもあります(ちなみに、このようなコンピュータを使った創作活動についての研究が、欧米のDigital Historyでは一部門として認められているにもかかわらず、日本の同種の学界では扱われていない、という研究史的な関心もあったりします)。
とは言え、俳句なんてほとんどやったことがない、単純に俳句ってかっこいい(やつはかっこいい)なぁ、ぐらいの人間が書くべきではなかったですね。しょんぼり。
P. S. ところで、この号を読んだら、池田澄子氏の句集が猛烈に欲しくなった。というか、買ってしまった。
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*1:COMPUTERIZED HAIKUに再実装したものがある。