読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

写真アーカイブの裏側にあるもの

ちょっと前に東日本大震災の写真アーカイブであるPhotos from JAPAN東日本大震災 写真保存プロジェクト未来へのキオクAPIを使って統合したサービス)を眺めながら、学生たちと写真のメタデータについて少し議論した。

Web上には膨大な写真が公開されているが、それらの大半は史資料として用いるのが難しい。なぜなら、メタデータに乏しいからだ。いつ、どこで撮影されたものなのか、どのようなライセンスで誰が公開しているのか等々、写真そのものだけでなく、付随する情報が(できれば機械可読な形で)セットになっていなければ、再利用しようにもできなかったりするのである。

東日本大震災に関する写真群も、現在は鮮烈な記憶がまだあるだろうから、どの写真がいつどこで撮影されたものかを撮影者が思い出すことができるかもしれない。でも、しばらく時間が経てば、何の写真だか思い出せなくなる人も多いだろう。東日本大震災 写真保存プロジェクトでも未来へのキオクでも、様々なメタデータ(地理情報とかキーワードとか)が付されていて、そのあたりのことについての配慮が見られる(阪神・淡路大震災などの写真は、撮影時間以外のメタデータがないものが大半なのではないかとも思う)。

とは言え、メタデータはまだまだ少ない。ということで、どんなメタデータがあったほうがいいか、学生に考えてもらったのである。追加すべきメタデータについていくつか案が出てきたなかで、興味深かったのが「撮影者がどのような人か」というものであった。「どのような」というのはちょっと漠然としすぎているかもしれないが、要するに写真は、(歴史叙述と同様)撮影者の立場や思想信条などによって変化する、というようなことなのだろうと思う。

被災地に行けば、多くの人が甚大な被害の痕跡に目を奪われ、そこにカメラを向けるだろう。可能な限り、その悲惨さが伝わるような場所を探して(これは北條さんが被災地域の景観に「美」を見出すベクトルについて - 仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈で言っていることにも重なる。おお、シンクロニシティ)。しかし、場所にもよるだろうが、すべての被災地が等しく悲惨な被害を受けているわけではない。あたり前のことだが、激甚な被害の場所もあれば、それほどでもない場所もある(私の実家はちょっとヒビが入ったぐらいですんだ)。だが、それほどでもない場所を積極的に選んで撮影することは、あまりないだろう。だからPhotos from JAPANに投稿された初期の写真は、圧倒的に悲惨なものばかりだ。しかし、アーカイブされた写真の悲惨さの分布が、そのまま震災全体の被害の分布とは重なるわけではない(変な言い方だが)。

同様に、自分の地域の支援を訴えたい人は、さらにその傾向が強いかもしれない(付け加えておくと、もちろんそのような「偏り」を責めることなど、我々にはできない)。逆に役所の職員などが、地域の被害状況を調査するために、悉皆調査的に撮影する場合には、そのような私情が入りにくくなるかもしれない。

いずれにせよ、写真アーカイブそれ自体の意義には共感しつつも、それを眺めていても見えない、カメラのフレームの外側にあるものを読み解くことも、将来的には必要になってくるかもしれない、と思う。そしてそのためには、どのような人が撮影をしたのか、というようなメタデータが必要になってくるだろう(そういうものをウェブ上でアーカイブする方法があるのか、という問題はあるだろうけども)。