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最後の遣唐使

ざっと読んだ。

最後の遣唐使 (講談社学術文庫)

最後の遣唐使 (講談社学術文庫)

全体的には『続日本後紀』と『入唐求法巡礼行記』の「最後の遣唐使」の箇所を時間順に読んでいく、といったスタイルの本である。言ってみれば、唐に苦労して行って、帰ってきたというだけのことなので、大部分はさして劇的でもない活動記録である。そんなものであっても、古代人のそれであるというだけで楽しめるタイプの人にはたぶんむちゃくちゃおもしろいだろう(残念ながら、私は部分的にしか楽しめなかったが)。

なんでこの本を手にとったかと言えば、「最後の遣唐使」の中に戒明という名前の薬師寺のお坊さんがいるからである。富貴原章信『日本唯識思想史』などによれば、戒明は護命の弟子の仲継の弟子とのことで、音石の明詮とほぼ同年輩の791〜849年の人と推定されている。奈良時代に大安寺に同名のお坊さんがいて、『大仏頂経』や『釈摩訶衍論』の将来にからんで、法相宗 vs. 三論宗の所謂“空有の論争”における三論宗側のキーマンの一人だったりするのであるが、『唯識論同学鈔』などでは奈良時代/平安時代と時代が隔たっている両者を混同するような記述が見られる。

平安時代の戒明が空有の論争にコミットしていたのかどうかはわからないが、同じ「最後の遣唐使」で入唐していた三論宗の常暁が、唐から『大仏頂経』の注釈書を将来しており、『常暁和尚請来目録』を見るとこれが空有の論争にからんだものであることがわかる*1。したがって、平安時代の法相宗の戒明も、立場は違えどこの論争に関心を持っていた可能性は否定出来ない。

本書『最後の遣唐使』においては、そういった仏教系のネタはほとんど触れられていない(最後の遣唐使が強行されたのは、真言宗側からの陰の圧力があった、というような指摘は興味深いが、天長の頃の仏教界の状況についてはほとんど説明がない)ので、上の戒明についてもほとんど名前が紹介される程度である。そういった部分ではあまり得るところはなかったのであるが、それは期待のしすぎというか、ないものねだりというものであろう。遣唐使派遣のプロセスや周辺的な情報については(上に書いたとおり、あまり楽しめたわけではないけど (^_^;;)たいへん勉強になったのであった。

次は『仁明朝史の研究』を読まないとな。

仁明朝史の研究―承和転換期とその周辺

仁明朝史の研究―承和転換期とその周辺

*1:拙稿「[http://moromoro.jp/morosiki/resources/200507ZengakuKenkyu.html:title]」等参照。