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〈身〉の構造 身体論を超えて

さくっと読めた。

〈身〉の構造 身体論を超えて (講談社学術文庫)

〈身〉の構造 身体論を超えて (講談社学術文庫)

『身体論集成』よりもこっちを先に読むべきだったかもしれない。特に「IV 錯綜体としての身体」はまとまっていてよかった。

身体論集成 (岩波現代文庫)

身体論集成 (岩波現代文庫)

いくつか気になったところを箇条書きしておこう。

  • 唯識に対する言及あり(p. 85)。ただし唯識を「成層的」と理解しているが、これは表層心理-深層心理というような一般的な唯識理解に基づくものであろう。身体論という観点からは唯識を成層的に解釈することはできないのではないか。
  • 「身によって世界が分節化されると同時に、世界によって身自身が分節化されるという両義的・共起的な事態」と定義される〈身分け〉においては、「すでに分節化され制度化された文化的世界を受け容れながら、それを再分節化し、集合的に再構成してゆきます」(p. 93)とも述べられるように、始原を設定することが難しい。これは「意識レヴェルの分節化だけを意味するのではなく、反射的な反応のような意識されない身による世界の分節化のレヴェルをも含」む(同)。この分節化は、唯識の「識」に相当するのではないだろうか。
  • p. 108以下の「身の生成モデル」で、最近流行 (^_^;; のクリストファー・アレグザンダーが参照されている。
  • 錯綜体についての議論、特に「可能的統合と間テキスト空間」(p. 199〜)あたりは、一般キャラクター論と重なるところが多い。経典に埋め込まれた身体的因果 ―仏教の実践論を考えるために―で指摘した「エクリチュールとしての身体」に接続する。というか、これをあの時理解していれば、もっとすっきり整理できたのではないか、と思う。