論文における新規性ということ

ふと、次の匿名ブログが目にとまった。

この院生さん、論文の「新規性」にハマっているようである。

論文の新規性という言葉がわからない。意味はわかる、他の人の真似をしたんじゃだめだということだろう。じゃあどうすればいいのか皆目見当も付かない。

これに関連する話を、先日の4回生ゼミで(やはり同じような「何をやっていいのかわからない」対策として)話をしたので、彼の院生さんには今さらのことかもしれないが、ちょっとここで再録しておきたい。

学術論文における新規性とかオリジナリティとかについて、その辞書的な意味にとらわれて“これまでまったく存在していなかった説を他に依存せずに創造する”みたいに捉える学生がいるが、それはまったくの誤りである。学術論文においては、その存在意義や新規性などはすべて他人の口から語られなければならない。

ある領域についての先行研究を調査することによって、未解決の問題が見つかる場合がある。それは大概、複数の説が存在する(論文が批判しあっている)とか、効率が悪くてやろうと思ってもできないとか、誰かやってくれるといいよねーみたいに問題を投げっぱなし (^_^;; にしているとか、いずれにせよ先行研究自身が語ってくれている場合がほとんどである。先行研究が語っていない、問題だとすら思われていない部分を見つけ出して問題にしてしまう、という高等テクニックもあるが、これも間接的に先行研究がその問題の(現時点における)不在を語っていると言える。

「指導教員はやりたい事をやりなさいという」ものだが(私も言う)、これは「やりたい事」がテーマ決定の鍵になるというのではなく、テーマにすべきことはそこら中にあるので、とりあえず最初の手がかりとして「やりたい事」から始めてみたら?という意味だと考えるべきである。だから、仮に「やりたい事」が「とっくにやり尽くされてい」た場合には、残念ながらそれはテーマにはならない。テーマになるかならないかは、先行研究を書いた先人が決めることであって、自分が決めることではないからだ。