内田樹先生の「呪い」論は『新常用漢字表の文字論』*1所収の拙稿で援用させてもらっていることもあり、速攻で購入。
- 作者: 釈徹宗,内田樹,名越康文
- 出版社/メーカー: サンガ
- 発売日: 2010/07/02
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「呪い」そのものというよりは、呪いを解除する方法についての議論が多かったように思う。その意味では期待はずれではあったのだが、解除についての議論が示唆に富み、またいくつか期待外の収穫もあったので買って良かった。
個人的に収穫だったのは、釈氏と名越氏の対談で、釈氏が唯識と精神医学との共通性について名越氏に話をふってるのだが、名越氏が割とあっさりとそれを否定している点である。唯識では「心」「意」「識」などの言葉がたくさん出てくるので、心理学とか精神医学とかとの共通性が人口に膾炙されるが、唯識で言われているこれらの用語は現代人の持つ「精神」とか「心」とかのニュアンスからはだいぶ離れているのではないか、というのが最近の私の印象なので、個人的にこの傾向もよくないと思うようになってきている。たぶん、「世界」とか「言語」とか「身体」とか「システム」とかの語を使ったほうが、特に阿頼耶識の説明などはうまくいくのではないか、と思っていたりするからである。
あともう一つ収穫?だったのは、内田先生のプロレスに関する発言:
たとえばプロレスラーというのもある種の異能の芸能人ですね。こういう人たちがリングを降りると、非常に穏やかな人たちで、愛妻家で子煩悩で読書家で、というケースが多いでしょ。「得意な芸能人」を演じられるためには、プライベートの部分できちんとしている必要がある。そうじゃないとバランスが保てない。「二十四時間フルタイムで異形の人」というのはありえないと思う。(p. 252)
マンガ論の方でも「暴論」が指摘されているが*2、このプロレスラーに関する発言も(「暴論」とまでは言えないかもしれないが)けっこう根拠レスな発言ではないかと思う(バルト『神話作用』*3所収の「レッスルする世界」の最後でヒールレスラー「げす野郎」が「無感動に、人知れず、手に小さなかばんを、腕に妻を抱えて帰っていく」云々と書かれているのが頭に浮かんだのかもしれない)。まあ、家庭が崩壊したりトンパチだったりするレスラーが目立つだけで、多くは内田先生の言うとおりなのかもしれないが。
いずれにせよ、内田先生は多少根拠レスな発言があっても、「いいことを言う」芸は天下一品なので、大きな問題ではないのである。