大西祝とその時代

できたばかりの同志社→東京帝大→早稲田と渡り歩いた、近代日本最初期の哲学者の伝記。おもしろく読めた。念願の留学時に勉強のしすぎで不眠症?になり、36歳で亡くなったらしい。今の私より年下なのか。嗚呼。

大西祝とその時代

大西祝とその時代

大西祝といえば倫理学のほうをとりあげられることが多いようだが、私の関心は論理学、なかんづく因明に関する研究である。本書ではごく僅かな言及しかないが、キリスト教の洗礼を受けた西洋哲学の研究者であるにもかかわらず、大西は因明に関する論文や著作を割とたくさん残している。そして、それが胡茂如によって中国語に翻訳されて、近代中国における仏教研究において大きな影響を与えている(とされている)のである。

大西の研究者としての態度、あるいは思想と言ってもいいかもしれないが、そういう姿勢は(私の関心によせれば)以下の数点にまとめられるだろうか。

  • 批評主義(客観的な批評は思想や文学の発展において重要である)。
  • 宗教と科学は矛盾しない。あるいは調和・融合させるべき。でも井上哲次郎みたいに「もともとぜんぶいっしょ」とかいうのはダメ。
  • 東洋思想・西洋思想の批評と融合が必要。
  • 哲学の研究では歴史的発展の研究が不可欠。

大西の因明研究は、東洋思想の批評や歴史的発展過程の研究の一貫、ということになるんだろうか。いずれにせよ、大西の因明についての研究はこれからなので、『大西博士全集』あたりからゆるゆると読んでいきたい(『論理学』の因明部分はさっと通読したことがあるけど)。

あと、明治の頃にはインテリジェント・デザイン説みたいな目的論的進化論が日本でも主張されていた、というのはおもしろい。根が深いんだね。