システムと悪

いずみのさんが紹介してくれたエントリをざっと読んだ。

読んだ/観たことがない、あるいは内容を憶えていない作品がけっこうあるので正確に把握できたかは疑問であるが、面白く読ませていただいた。

全体としては「システムにビルトインされた悪」の問題を論じているのではないかと思う。システム内の存在(例えばこの世界の中の人間)にとって、システムの一部である悪を完全に排除することはできないし(ex. 不滅の悪…黒い幽霊団)、無理に排除しようとすればシステム自体が崩壊を招く。システムがどうしてそのようにあるのかについてシステム内で答えを出すことはできないし、存廃をふくむシステムの操作が可能なシステム外の存在(あるいはメタ・システム的存在)はシステム内から見ればまさに「絶対悪」である(ex. 『サイボーグ009』の天使)。

ちなみにこれらのエントリの元ネタとなっている絶対悪とは、時間軸のない(弱い)物語であり、目的はテンションの転換であって世界を再現することではないのでは? - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむためににおいては、絶対悪=出自が語られない悪というような感じになっているが、これは『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX』の笑い男の成立や、内田樹氏の言うところの「呪い」的なコミュニケーションの問題ではないかと思う。

…「呪い」はその発信者が特定されない。呪いが誰から到来したものかを言うことができないという、発信源についての情報の欠如が呪いを機能させているからである。

能楽『葵上』では、葵上に取り憑いた「もののけ」が六条御息所の生霊であることがわかった時点で除霊の本質的なプロセスは終わる。それが固有名をもった一人の女性の、「光源氏をめぐる嫉妬」という具体的な感情に由来するものがわかった時点で生霊の効果は消滅するからである。

呪いの効力はそれが誰の、どのような怨念から由来するものなのか「わからない」という情報の欠如に存している。だから、「呪い」の発信者はその身元を明かさない。呪いの発信者の実名が知られるとき、呪いは効力を失う。発信元がわかった時点で、自ら発した「呪い」はまるごと「return to sender」(宛先人不明)として発信者に戻ってくるからである。だから、呪詛の霊的効力が公的には信じられていない現代社会においても、呪いの言葉を書き連ねる人々は、自分の名が知られたときに、どれほどの制裁を受けることになるかを知っている。(内田樹「呪いと言論」『大人のいない国 成熟社会の未熟なあなた』*1、p. 75)

これと「システムにビルトインされた悪」とは、どちらも“原因を問うことができない”という意味では共通するものの、本質は異なるのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

*1:[asin:4833418886:detail]