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三沢光晴の死の意味

最近、死者表象をめぐる想像力の臨界、ほか - もろ式: 読書日記なんてエントリを書いた手前、軽々しく死の“意味”なんてものを書くのは躊躇われもする(少なくとも各所で述べられているような、「リングの上で死ねて本望だろう」みたいなことは言いたくない)。ただ、ここ最近のレスラーの“若すぎる”死と、今回の三沢の死との違いについては述べておきたいと思う。

ちょっと古い話になるが、三沢がかつて所属していた全日本プロレスの、かつての“長男”であったジャンボ鶴田は肝臓移植手術における大量出血が原因であったとされる。橋本真也の死因は(不摂生による)脳幹出血、三沢・橋本が晩年に大きく関わった冬木弘道はガンによって命を奪われた。いずれも、リングの外での死である。

それに対して今回の三沢の死は、リングの上、しかもGHCタッグ選手権での出来事である。全盛期と比べればやや下り坂という印象があったとはいえ、神懸かり的な受け身の巧さとゾンビと称されるほどのタフネス(これらに依存した、ジャイアント馬場をも絶句させる激しいプロレスをしてきたことが、今回の死の遠因であったという説もちらほら出ているが)にはまだ盤石な信頼があった選手が、一発のバックドロップで命を落としたという事実は、前述の選手たちのそれとは分けて受け止められなければならないのではないだろうか。メジャー団体のトップレスラーがリングの上で(オーエン・ハートのようなレスリングとは関係ないところでの事故死ではなく)チャンピオンシップの最中に命を落とした、というのは、耳にしたことがないように思う(馳浩が心肺停止になったことがあったな…あれもバックドロップだった…)。

ジャイアント馬場が病院で亡くなったように、トップレスラーを殺すことができるのは神様以外あり得ないのだ(力道山はヤクザに刺されたのが死因とされるが、あれも一度回復してる)。あるいは、トップレスラーがチャンピオンシップで死ぬことはあってはならないのだ。このことは、レスラーはリングでは死なない=八百長という意味では断じてない。通常のスポーツで起きているような事故は、リングの内外でちょこちょこ起きてしまっている(これはこれで非常に痛ましいことである)。今回の三沢の死は事故というだけではなく、言わば『あしたのジョー』などのフィクションのなかでしか参照されなかったモチーフが現実世界に導入され、世界を解釈するためのスキームが変化してしまったのだ。

このことを、ノアという団体は、あるいはプロレスというジャンルは引き受けることができるのであろうか。三沢選手がキリストの如く復活した方が、プロレスを含む世界のスキームはむしろ安定しているのだ、そう思わずにいられないのは一時の感傷なのであろうか。

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( ;ω;)彡 みっ!
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( ;ω;)彡 さっ!
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