文字(character)をキャラクター化(擬人化)した作品。大谷大に行くバスの中でさくっと読んだ。
- 作者: ステファノ・フォン・ロー,岩田明子,小林多恵,トルステン・クロケンブリンク
- 出版社/メーカー: 三修社
- 発売日: 2008/10/30
- メディア: 単行本
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どうやら世間的には「「必要のないものなんてない」というメッセージ」の本として受け取られているようだが*1、文字=キャラクター研究者の立場から見れば、この本は音声言語中心主義に対する書記言語による反逆の話として読める。
以下、曲解に基づくあらすじ紹介:ある日、ひらがなたちは、誰が一番偉いかを争っていた。諍いがだんだん盛り上がって収拾がつかなくなったとき、誰かが思わずこんなことを言い出した。
「誰が一番えらいかはわからないけど、誰が一番えらくないかは知っているぞ。それは小さい“つ”さ。だって、彼は音を出さないからな。そんなの文字でもなんでもないさ」
文字は音声言語に従属しているのだ、という文字の尊厳を踏みにじるような音声言語中心主義的なこの発言を、ほかでもない文字自身の口から発せられたのを聞いた小さい“つ”は、家出をしてしまう。小さい“つ”がいなくなると、新聞をはじめとする文字言語だけでなく、なぜか人間のしゃべり言葉まで影響が出てしまい、大混乱がおきるのである(その間、小さい“つ”は、アイスクリームを盗み食いしたり、ミツバチと闘ったり、新幹線に乗って東京見物に行ったりと、なかなか楽しそうに時を過ごす)。
小さい“つ”の捜索を断念したひらがなたちは、通常のルールを破り、人間が発するあらゆる言語活動をハイジャックして、小さい“つ”宛のメッセージを発信するのである。そのおかげで小さい“つ”は家出から帰るのだが、ひらがなたちはよろこびのあまり温泉旅行に行ってしまうので、日本語による言語活動が一切停止するという事態に陥るのである。音声言語を支配していたのは、実はエクリチュールだったのだ!(きっと、そのときには、彼らの神である原エクリチュールが召還されたに違いない) …デリダがこれを読んだら、何て言うかな。
ちなみに挿絵はかわいい。“み”さんは大人の魅力がすてき。“も”さん(欲張りらしい)は何となく、ちび1号に似ている。