マンガは哲学する

本屋で『スポーツマンガの身体』*1を探したが見つからなかったので、代わりにこれを買った。

マンガは哲学する (岩波現代文庫)

マンガは哲学する (岩波現代文庫)

恥ずかしながら初見である。『ユリイカ』の諸星大二郎特集で偉そうに「マンガは哲学を、あるいは宗教を描きうるだろうか。しかも、その固有性によって。」なんて書いてるくせに、である。この本で筆者は「ひょっとすると、マンガという形でしか表現できない哲学的な問題があるのではないか、と私は感じている」と言っており、問題意識がまんまかぶっている(諸星大二郎作品の取り上げ方も似ている)。ああ、恥ずかしい。

しかし、ざっと読んでみたところ、マンガの固有性に依存した問いはあまり立てられていないように思われる。言語や理解に関する問題は『ソラリス』をはじめとするSF小説でも試みられたことであり、マンガでなければならない、という問題でもないように思う。

逆に〈私〉の固有性をめぐる問題(って書くと間違ってる気がするが)は永井氏の真骨頂とも言える部分であり、その問題に切り込む踏み台?としてマンガの一コマ*2が重要な役目を果たしたというのは興味深い。逆に『攻殻機動隊』のゴーストをめぐる議論では「(哲学的に)拙い」とばっさり切り捨てているところも面白い。

*1:[asin:4166603256:detail]

*2:[asin:493875200X:detail]