日本中世の禅と律

最近、佛大の舩田さんにそそのかされて (^_^;; 叡尊が五姓各別的だったのかどうかに興味を持っている。現在、舩田さんに研究史についてレクチャーを受けつつ(って言うか、その研究史のまとめ方がおもしろいので、論文化したら?>舩田さん)、出たときに買ったものの読んでなかった松尾剛次『日本中世の禅と律』の“律”の部分を読んでみた。

日本中世の禅と律

日本中世の禅と律

(元の史料を読んでないので、以下のコメントは単なる印象。)

全体的な印象としては、叡尊は滅罪を目的とした観仏修行を重視していたように思う。菩薩戒には、懺悔による滅罪 → 滅罪の証明としての観仏体験 → 受戒というパターンがあるが、逆に言えば、どんな方法であれ観仏体験をした=滅罪した、と考えていたのではないだろうか。戒律復興も密教も、滅罪のための手段だったと考えるのは変かな?

叡尊の思想」で松尾氏は、叡尊を悉有仏性論者(反・五姓各別論者)としたいみたいだが、論文を読む限りでは五姓各別説の立場に立っていると考えても不都合はないように思われた。例えば、44頁に引かれる叡尊の願文に「令赴三乗之菩提、令値人天之善種」というフレーズがあるが、これは基の『成唯識論枢要』に基づいた五姓各別説的言い回しだと思う(似たような事例は五姓各別説と観音の夢 『日本霊異記』下巻第三十八縁の読解の試みで指摘した)。松尾氏が叡尊=悉有仏性説の根拠とする『興正菩薩御教誡聴聞集』の「一切衆生ハ皆同一仏性也、何ノ差別カアラン」も、法相宗の理仏性・行仏性説で説明可能であり、これだけを根拠に叡尊=悉有仏性説を主張することは難しいように思う。叡尊は、菩薩戒に関する理論の多くを法相宗の文献に依っているのであり、法相宗の菩薩戒の文献は五姓各別説を前提としているのだから、五姓各別的な枠組みを肯定していたと考える方が自然であろう。

「夢記の一世界 ―好相日記と自誓受戒―」は(山部能宜氏の一連の研究を参照していないのは問題だと思うが)様々な貴重な史料が紹介されていて非常に興味深い。好相を得る(仏菩薩等の姿を見る神秘体験)ために「黒色の良薬」を使ったりするのは、危険な香りがしておもしろい (^_^;; (この論文は金沢文庫の展覧会の図録をもとにしている。金沢文庫はいい展覧会をしてんなぁ。)

まあ、これからゆるゆると調べて行くつもり。Paul Groner先生の叡尊論文“Tradition and innovation: Eison's self-ordinations and the establishment of new orders of Buddhist practitioners.”が載ってるGoing Forth: Visions of Buddhist Vinaya.も読まないとなぁ(注文したけどまだ届かず)。

Going Forth: Visions of Buddhist Vinaya (Studies in East Asian Buddhism)

Going Forth: Visions of Buddhist Vinaya (Studies in East Asian Buddhism)