『中国同時代文化研究』創刊号

http://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/index.php?plugin=ref&page=FrontPage&src=c3-01.png:image:right千田大介さんよりご恵贈いただきました。

  • 『中国同時代文化研究』創刊号(『中国同時代文化研究』編集委員会、好文出版、2008年)

目次は以下の通り(FrontPage - 電脳瓦崗寨から転載):

  • 高屋亜希「動漫「真人秀」考 ―中国コスプレ受容の文脈―」
  • 笠井直子・松本麻未「「五元映画騒動」の社会的意義」
  • 久保瑛子・田中雄・富塚沙織「「熊徳明事件」小考」
  • 朱大可(高屋亜希訳)「都市神話の現代的エクリチュール
  • 張閎(高屋亜希訳)「中国結び:新世紀の国家トーテム」
  • 呉虹飛(高屋亜希訳)「中国ロック ―大衆と個人の想像」
  • 張暁舟(高屋亜希訳)「中国音楽界の電気工時代」
  • 陸興華(山本律訳)「芸術家の主体ポジションとファインアート体制の活路」
  • 張閎(高屋亜希訳)「近代国家における音声システムの生産と消費」
  • 千田大介「中国のネットユーザー数とCNNIC統計の信頼性」

すでに千田さんから直接聞いたり、北京なるほど文化読本 - もろ式: 読書日記などを通して知っている話もあったりするが、とりあえず高屋亜希さんの「動漫「真人秀」考 ―中国コスプレ受容の文脈―」を読んでみた。

「完コス」なんて言葉がある日本のコスプレと異なり、中国では一般的に「原作との類似性をことさら追求しない」(p. 10)らしい。では何を追求しているかというと、

 マンガ・アニメの原作に対する愛情が全くないわけではないが、それ以上に〔コスプレ・コンテストでの〕スポットライトがあたったステージに立つこと、あるいは大勢の観客に見守られたステージ上の自分こそが、コスプレイヤーの最大の関心事であり、コスプレに魅力を覚えている点であるのが伺えるだろう。(p. 18)

 一般に、衣装の手作りが主流を占める中国コスプレでは、コスプレイヤーは使えそうな材料集めに街中を奔走し、些細ではあるが自分なりの創意工夫にコスプレイヤーたちは満足感や誇らしさを感じており、マンガ・アニメの原作を忠実にコピーすることへの満足よりは、自らの手と頭を駆使してそれらしい形を整えられた作業過程に、創造性の喜びや自らのオリジナリティを見いだしているように見受けられる。(p. 22)

私は、日本のコスプレについては、まったく知らないと言ってよいほどであるが、それでもこのような事例を聞くと日本と中国とのギャップを思わざるを得ない(ぜひ、その筋の方々に意見を聞きたいところ)。「日本のマンガ、アニメは世界一ィィィ」とか言って自己満足に陥る前に、「その受容に見られる文化的差異についての研究はあまり蓄積されていない」(p. 8, 脚注2)という状況に目を向けるべきなのではないだろうか、などと思ったりした。

ところで「コスプレ Cosplay」というのは和製英語らしいが、10億人以上に通じるんだったら英単語として認定してもいいんじゃないかという気がする