人工衛星のまなざし

※ 以下の文章は、花園大学の授業「情報と社会」の補足みたいなもの。表象としてのコンピュータ(表象としてのコンピュータ (1) - moroshigeki's blog表象としてのコンピュータ (2) - moroshigeki's blog「表象としてのコンピュータ」に関するアンケート - moroshigeki's blog)関連。

下の図は、『ゴルゴ13 144巻 神の耳エシュロン』の24ページである。

ゴルゴ13 144 (SPコミックス)

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右上のコマに高速道路を走る自動車が描かれており、それを「撮影」しているカメラがずーっと引いていき(左上)航空写真のようになって(右下)最後に人工衛星が描かれる。前後を読めばわかるが、このページは(ゴルゴ13によく見られる数コマを使った場面転換であると同時に)偵察衛星によって最初のコマの自動車が監視されていることを表している*1

この話は、「神の耳エシュロン」という題からもわかるように、アメリカが中心となって地球規模で行っていると言われる通信傍受システム・エシュロンに対してゴルゴ13が挑むという話で、ここで監視されている自動車も、ゴルゴ13との待ち合わせ場所に向かう日本人銀行マンの自動車である。「神の耳」という言い方からもわかるように、エシュロンは神にも等しい存在として描かれている。このような“神にも等しい監視者”“神にも等しいコンピュータ”というモチーフは、『1984年』のビッグブラザー、さまざまなSF作品に出てくるマザー・コンピュータの類、あるいはMatrixDeus ex Machina等々を連想させる、言わば古典的なコンピュータ像である。

上の図と非常によく似たシーンが、オリバー・ストーン監督の『ワールド・トレード・センター』にもある。

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しかし、その意味するところは、鷲谷花「経験の救出 ―「パニック映画」としての『ワールド・トレード・センター』」が述べるように、まったく正反対である。
入門・現代ハリウッド映画講義

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ツインタワーの二度目の崩落が起きた直後、瓦礫に埋もれてなすすべもなく苦痛に耐える港湾警官たちの姿を、地下でとらえていたキャメラは、そのまま地上へと上昇してゆき、世界貿易センターが完全に崩壊した後の「グラウンド・ゼロ」を俯瞰しながらさらに上昇を続け、ついには成層圏外へと到達したところで、軌道上から地球を俯瞰する人工衛星が画面に映し出されます。しかし、この人工衛星のまなざしは、地下に生き埋めになっている主人公たちの姿を捉えることもできなければ、進行中の悲惨な事態になんらかの救済をもたらすこともかなわない、徹底して無力なものでしかありません。つまり、九〇年代のパニック映画においては、事態の解決にあたってつねに絶大な効力を発揮してきたさまざまな情報・通信テクノロジーが、『WTC』ではほとんど無効化されているのです。 (p. 31)

ゴルゴ13では雲ひとつないクリアな映像であったのと対照的に、グラウンド・ゼロの映像はすぐに朦々たる粉塵にかき消され、航空写真のような映像の真ん中には煙が立ち上っている。言わば、『ワールド・トレード・センター』は、神にも等しい存在として描かれがちな我々のコンピュータ観を相対化する。

*1:ちなみに、これと似た画像を見ることができるのがGoogle Earthである。Google Earthは元々Keyhole社が開発したものを、Googleが会社ごと買収した。この「Keyhole」という名称はアメリカの偵察衛星から来ており、上図の人工衛星も「KH」と呼ばれている。