現在、暴流の中で: 一般キャラクター論から見たキャラ/キャラクター論のブラッシュアップをしているのだが、最近出た『思想地図 vol.1』にキャラ/キャラクター論の論考が複数載っているのを見つけて、あわてて読んでいたりする(「特集・日本」となってたり、巻頭に「国家・暴力・ナショナリズム」なんて討論会が載ってたりしたので、とりあえずキャラ/キャラクター論には関係ないかな、とスルーしそうになった (^_^;;)。
- 作者: 東浩紀,北田暁大
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2008/04
- メディア: 単行本
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とりあえず、伊藤剛さんの論文を読んだので、ちょいとメモ。
- 伊藤剛「マンガのグローバリゼーション 日本マンガ「浸透」後の世界」
伊藤剛さんは象徴的な事例を持ってきて議論するのがすごくうまいと思う。『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』冒頭の米沢嘉博氏の矛盾した発言は非常にインパクトがあったが、この論文の冒頭のDramacon*1というアメリカ製日本マンガ (OEL manga) に登場する close-minded manga fan な少年という転倒した例もまた非常におもしろい。
また、大塚英志氏に対して割とはっきりと「ぼくら派」批判(これは千野帽子さんの用語だけど)をしてるのも、印象に残った。
ここに、大塚の抱えた「困難」がある。その「困難」は、「マンガを読む/描く私」たちの共同体を素朴に根拠にしてしまったことに求められる。クロース・マインデッド・マンガ・ファンの少年もまた、同様に「マンガを読む/描くぼくら」という場所から OEL manga を強く排斥した。(pp. 137-138)
もちろんこれまで大塚批判はあったと思うが、ここまではっきりしたものは初めて読んだような気もする(伊藤さんの発言をすべてを読んでいるわけではないので、見落としもあるだろうが)。
なお、この大塚批判においてキーワードとなっている「倫理」の問題(ハリウッド映画の主人公は基本的にどんな危機にあっても死なない→死をオーディエンスから隠蔽→倫理性がない)については、大塚氏の「倫理」の定義自体を検討しなければならないという点をひとまず脇においておくと、ハリウッド映画において道徳的な世界を現出する「メロドラマ的想像力」*2を指摘しておいてもよいような気がする。
追記(2008-04-28 20:42):伊藤剛さんご本人が「思想地図」に論文を書きました。 - 伊藤剛のトカトントニズムにこの論文について書かれています。「大塚英志氏に対して割とはっきりと「ぼくら派」批判をしてる」っていう上の印象は、あってたみたい。