唐代天台仏教復興運動研究序説―荊渓湛然とその『止観輔行伝弘決』(([asin:4804305718:detail]))

をご恵贈頂きました。ありがとうございます。

博士論文を出版されたとのことで、まだ全体を読んだわけではないですが、仏教学の方法論に対する批判的態度にあふれた意欲作なのは、「はじがき」の(いささかロマンチシズム溢れる)一文を読めば伝わってきます。

このような角度からみると、智顗と湛然は宗教的超越者でもなければ、単に精緻な仏教理論を構築した哲学者でもない。大動乱のなかに投げ入れられ、将来がまったく見通せないような社会状況の中にあって、同時代の人々とともに苦しみ悩みながら、中国仏教と中国文化を継承して後世に伝達しようと格闘した等身大の人間であったように、私には見える。輝かしい結実として残された著作と教学理論に進む前に、彼らのこうした人間像をありのままに伝え、眩しい光の背後にあって見失いがちなもの、つまりは彼らの苦悩と著述の動機を理解しなければならない、というのが私が獲た答えであり、同時に本書を通して読者に伝えたいメッセージなのである。(p. iii)

このような決意は、例えば「序論」中に見える「単なる思想史」(p. 1)という言い方からも伝わってきます。西洋哲学史の研究ではすでに『ウィトゲンシュタインのウィーン』*1などで、当時の社会状況からテキストを解釈する(テキストの内容をコンテクストに還元する)という方法による研究がありますが、仏教学、なかんづく天台学のような伝統的な教理学の分野でこういう仕事がなされたのはあまり記憶にありません(まあ、私の記憶はいつもあてになりませんが (^_^;;)。

読んでないうちにこんなことを言うのも変ですが、新しい方法に挑んだという意味だけでもとても意義があると思います。今はちょっと忙しいんですけど (^_^;; 早く時間を作って通読したいですね。

*1:[asin:4582763863:detail]