カレーうどんとみかえり阿弥陀

南禅寺の側の京都市国際交流協会で3月22日のシンポジウムの会場を借りる手続きをした後、昼飯を食べに永観堂まで歩く。前から行きたかった日の出うどんで、カレーうどんを食べるためである。地元民と観光客が混ざっているちょっと不思議な客構成の中で、京風のコシのないうどん(と書くと旨くない感じがするが、それは讃岐うどんを頂点とするコシ至上主義に我々のうどんに対する感性が抜き難く毒されているためであり、コシがないうどんも旨いものにはたくさんあるのである)にたっぷりのカレーがかかったカレーうどんを食す。美味なり。行きやすいところにあったら、リピーターになりそうだ。

その後、カレー臭い体で永観堂に参拝する。観光シーズンでもない雪まじりの雨の日にはやはり参拝客はまばらだったが、私の目当てはみかえり阿弥陀なので、これくらいがちょうどいい。果たして初めて拝むみかえり阿弥陀はとても感動的な姿であった。

この阿弥陀さんの由来は有名である。永観という僧が修行(阿弥陀仏の周りをぐるぐる回りながら念仏を唱える常行三昧みたいなもの?)をしていると阿弥陀仏が出て来てその前を先導し始めた。びっくりした(そりゃそうだ)永観が立ち止まると、阿弥陀仏が振り返って「永観、遅いぞ」と言ったという。この姿を残したのがこの仏像とのこと。

このエピソードから、比叡山での十二年籠山行に入るための好相行(仏の姿を見えるようになるまでがんばる修行)との共通性を想起せずにはいられない。永観は本当に阿弥陀仏を見たのだ――この像の姿勢は、そう思わずにはいられないほどの雰囲気だ。そしてこの像を拝みながら、阿弥陀信仰なども含めた観仏信仰のメッカである中央アジアからここまでの神秘体験の伝統に思いを馳せていると、涙が出そうになる。

お寺に参拝するときは、妄想でドーピング (^_^;; するに限る。皆さんも永観堂に行く時には、堀沢祖門『求道遍歴―十二年籠山、そしてその後』*1とか、『北朝隋唐中国仏教思想史』*2所収の山部能宜さんの論文を読みましょう。

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*2:[asin:4831874248:detail]