という研究会があるようである(id:smasuda:20080220)。報告者の一人、増田聡さん曰く:

私の報告は手短かに済ます予定。オングにバルトにマクルーハン川田順造からデリダ、おまけで初音ミク、みたいなありきたりな話になるわけだけど、伊藤剛キャラ/キャラクター論との関連で、声と人格の記号論的な結合の仕方について整理した叩き台つくっていろんな話聞いとかなあかんなー、とは思うわけです。その辺に関心ある方はぜひどうぞ。

3月22日の私たちのシンポジウム(まだどこにも案内は出てません。すいません)とも関連が深そうなキーワードが並んでいる。ぜひ聞きにいきたい。

バルトについては、石田美紀さんの「響きと吐息 〈声のBL〉という申し開きのできない快楽について」(『ユリイカ別冊 BLスタディーズ』*1所収)において、『テクストの快楽』*2で述べられている「声の粒」(音声言語になる前の響き)の官能性との共通点が指摘されている。石田さんの論文の直後にあるマンガにおいても、植毛加工された同人誌(男性の裸体の脇毛の部分にふさふさした素材を貼りつけてある)の話がネタとして使われているが、これも(声ほどではないものの)言語化以前の、あるいは視覚的な記号(マンガの絵とか文字とか)との共犯を意図した官能性の表現なのかもしれない(ただし、植毛された毛には、声優の身体のような固有性はない)。増田さんも名前をあげている川田順造氏の「音のエクリチュール」(だったっけか?手許に本がないので曖昧な記憶)を援用すれば、声の快楽の問題をキャラ/キャラクター論に接続できそうな予感。

植毛加工と言えば、乳幼児向けの絵本には、動物の毛とか肉球とかに触らせるタイプのものがあるが、これも同じ問題系に属しているような気がする。言語の獲得と同様、聴覚や触覚についても幼児期において「キャラ」が確立しちゃうんだろうな。

*1:[asin:4791701720:detail]

*2:[asin:4622004712:detail]