ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス

ようやく終わる。ゲームの内容ではなく、やり終えたことに感動している。

社会人、妻子持ちで、こういうゲームをやるのは、とても大変だ。最初はちびたちといっしょに1時間ずつやっていたので(操作はもっぱら私だが)、進まないこと甚だしい。こういうゲームを初めて見るちびたちは、きわめて些細なことでも心から一喜一憂し、Wiiの電源を切った後も遊園地から帰って来たかのように語り続ける。

最初のうちは釣りをしたり、馬に乗ったりというような牧歌的な話なのだが、しばらくしてモンスターと遭遇し、危険なダンジョンを通過しなければならないようになると、小心者のちび1号が怖くて見れないと言い出すようになる。狭い足場をジャンプしなければならないような所では「行っちゃダメー!!」と号泣しながら私を引き止める。それじゃゲームにならない (^_^;;

その後、ちびたちと冒険をするのはやめて、一人でプレイすることになったが、必然的に夜中にこっそりやるということになる。最大の敵は多忙と睡眠不足という中、1ヶ月以上間があくこともあったりしたが、なんとか最後までやりとげたのである。

しかし、そもそもなぜこのゲームを始めたのかと言えば、もちろんゲームをやりたかったというのもあるが、最近のゲーム研究の活況が気になってきたというのも理由として小さくない。ここ数年、情報処理学会ゲーム情報学研究会エンタテインメントコンピューティング研究会ができたり、馬場章先生を会長に日本デジタルゲーム学会なんてものが立ち上がったりしており、日本でもゲームの学術研究が組織化されつつある。そう言えば『人工知能学会誌』の最新号も「ゲームAI」なんて特集だった。しかしそんな中、ゲームの作品分析や批評がすっぽり抜け落ちているような気がしている。

でもそれも仕方がないかな、という気がする。小説とかだったら、ななめ読みなんかも駆使して多読が可能であるし、映画は通常2時間で終わる。でもゲームは一作に100時間ぐらいかかるのがざらにあるので、多読は困難であろう(その意味で『テレビゲーム解釈論序説/アッサンブラージュ*1は労作だと思う)。RPG研究を志す者は、UltimaWizardryの主な作品を一通りやっておくこと、なんて指導されたら、やる気なくすだろ (^_^;;(そんなんでやる気をなくすようなやつは、研究する資格なし?ごもっとも)。

まあ、来年度から新学科もできるし、とりあえずゲームとゲーム研究を横目で見ることは続けておこう。