そわそわ卒論

明日は卒論提出日である。ということで、ここ2、3日、そわそわしっ放しである。

ただ、今日は、5人中3人が一応完成(製本まで終了、あとは提出のみ)したので、とりあえず一安心。というか0.6安心。あと二人、がむばれ。すでに今月末に、温泉+カニの「おつかれさま極楽ゼミ旅行」が決定しているので、何が何でも出してもらわないと趣旨が変わってしまう (^_^;;

今日も午前中に幼稚園で餅つきをした後、午後には大学に行って、学生が持ってきた書きかけのものに目を通して赤を入れて返したり、質問に答えたりしていた。先生によっては、こういうことを全然しない先生もいるし、「指導は1回まで」みたいにリミットをつけている先生もいる。これは、どれが正しいというわけではないだろうと思う。私は卒論でこういう指導をされたことはない。そもそもゼミもなかった。大学院で違う大学に移ったら、ゼミもあり、修論指導もあったので、文化の違いに大いに戸惑った。と同時に、多くのことを学んだ――なぜ「研究」とか「学問」とかに、このような文化の違いがあるのかを、考えざるを得なかったからである。

卒論は基本的に「誰も立てたことがない問いを自力で立てて、それに自力で答えを出す」というタスクである(ことが、指導を難しくしている)。昨日の3回生ゼミでは、『勝つための論文の書き方』*1を春休みに読んでおくように指示した。もっとも、マニュアルなんて本番になったら役に立たない。なぜなら、問いの立て方に論文の書き方は依存するので、「誰も立てたことがない問いを自力で立てて、それにあった書き方で書く」のが論文の書き方だからである。原則として、その問いは史上初めて立てられるものであるから、それにあった文章の書き方のマニュアルなど存在しないのである。しかし、それでもこの本は「問題意識を持つ」ということに重点を置いているという点で私のゼミでの指導に近いし、いざ本番が来て、実際の執筆には役に立たなかったとしても、心の準備にはなるだろうということで、勧めておくのである。

さぼらず読んでくれると良いのだが (^_^;;

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