山口貴由と井筒俊彦を交互に読む

別に何の理由もないのだが、最近『シグルイ*1と『井筒俊彦全集』の9巻*2を交互に読んでいる。今日は「イスマイル派「暗殺団」 ―アラムート城砦のミュトスと思想―」を読んだら、相乗効果?で脳内ハイテンション。

イスラム教シーア派の一派で、暗殺団で有名な過激派であるイスマイル派の世界創造神話はこんな感じらしい:

「神(のみ)が存在していた。まだ空間もなく、空間を占める諸物もなく、永遠の時も、遷流する時間もなく、ただ一瞬の時間すらなかった。突然、神に、(創造への)意志が起り、意欲が湧きあがった。よって神は光を創造し給うた。つまり光を(最初の)被造物として創造し給うたのである。しかし光自身は、しばらくの間、自分が創造主であるのか被造物であるのかわからないままであった。」
「やがて神は、この(光)のなかに息を吹き入れたもうた。すると光は声を発した。その声は、『あれ!』(kun)というコトバであった。こうして、神の許しを得て、(コトバが)あった。

井筒先生の解釈は次の通り:

旧約聖書』「創世記」でも、神の天地創造は、やはり「(光)あれ!」というコトバで始まる。しかし、イスマイル派のミュトスにおける「あれ!」は、これとは位相が違います。『旧約』の場合、すでに創造主である神が「光あれ!」というコトバを発する。イスマイル派の宇宙生成論的ミュトスでは、神は「あれ!」ともなんとも言わない。創造主としての神が、「あれ!」というコトバを発することによって世界創造を始める、というのとは微妙に違います。ここでは、『旧約』の場合とは違って、神がコトバを発し、何かを語る、のではない。神自身が「コトバ」(kalimah)なのです。神がコトバとして(コトバとしてのみ)自己顕現するのであります。そして神の自己顕現としてのコトバが、「あれ(クン)!」という存在命令なのであり、この存在命令、「あれ!」そのものが、ミュトス的に神格化されて、「第二の神」となる。ここまで来て、神は始めて真の意味での「創造主」となります。

上の訳や解釈は「井筒節」かもしれないのだが (^_^;; それを置いといてもこれはなかなかおもしろい「神話」である。これは、最近の私の関心に照らして言えば、一般キャラクター論におけるキャラクターの始源の神話、とも読めるからである(キャラクターを「記号」とかに置き換えてもOK)。神は「コトバ」によって事後的に見出されるのである。

しかもこういう神話を作り上げた教団が、ヨーロッパ世界を恐怖せしめた暗殺者集団を作り上げたのだから、(こう言っちゃ不謹慎かもしれないが)おもしろい。CHISEプロジェクトも武装しなきゃ!(激違)

*1:[asin:4253230431:detail]

*2:[asin:412403055X:detail]