アップルシードとゴルゴ13

東寺でもライブで聴くことができたYMO(というかHASYMO)の新曲「Rescue」*1はなかなかかっちょよいが、映画『EX MACHINA』のテーマソングだという。この映画は、映画『APPLESEED*2の続編で、もちろん原作は士郎正宗のマンガ『アップルシード*3である。HASYMOの新曲を聴くのに原作まで遡る義理はないのだろうが、『EX MACHINA』は観たいし、前編・原作をスルーして『EX MACHINA』を観るのもちょっと気持ち悪い。

士郎正宗のマンガは、『攻殻機動隊』とかもそうだが、世界設定が「政治評論家の説明程度には論理的(因果論的)だが、陰謀史観よりは複雑な世界」である。実際の社会は極めて多くのファクターが複雑に絡み合ったシステムであって、人間が納得しやすい比較的単純な因果論では説明できないことがたくさんあるはずである。しかし、そのような複雑系をマンガの舞台設定にすると、お話が成立しない。かと言って、帝国対共和国のような単純な対立構造は、さすがに「リアル」ではない。

考えてみると、『ゴルゴ13』の世界観も同様である。『アップルシード』みたいな(近)未来の話ではないが、世界の捉え方はやはり評論家的だ。「世界は読者が思う以上に複雑である」というスタンスで、お話として破綻しない程度の複雑さ/単純さ(整合性)の情報を読者に与えることによって、「リアリティ」を生み出している。

ただ、情報の与え方は、『ゴルゴ』と『アップルシード』では全然違う。『ゴルゴ』の場合、登場人物の事情通の誰か(デューク東郷に仕事を依頼する人だったりする場合が多い)が、その回の背景(小麦先物取引の実情とか、最近のIT技術の進歩とか)について政治評論家的に解説をはじめたりする。明らかにそこだけセリフが不自然に長く、きっちり役目を終えた後はゴルゴに「早く本題に入ってくれ」とか言われたりするのだが、それによって「ゴルゴを読むと国際情勢に詳しくなる」と思わせるほどの*4「リアリティ」を読者に持たせることに成功している。

アップルシード』の戦略は逆で、登場人物たちがする評論家風の断片的な会話が、それ自体はよくわからない(その世界の常識を知らないので当たり前)場合でも、その会話の背景に「世界」があることを予想させる。もっともそのためには、読者の側にパーツから全体を想像する教養的な力が必要になるのであるが、教養を要求することがまた「リアリティ」を強化することに貢献している。言い換えれば、エヴァンゲリオンのときもそうだが、物語の「世界」を理解しようと投入された「教養」は投機的なものなので、回収されるかどうかに関わらず「向こう側」にプールされた「儲けの可能性」を強固に信じることになる、という感じだろうか。

昔から士郎正宗マンガが気に食わなかったのは、上のような意味でのディーラー的な態度をとった作品が多いからだ。あと、動きを出そうとしてわかりづらくなった絵も嫌いかな。『AKIRA』のように、ビルの崩壊を静止画のように描く方が好みである。以上雑感。

*1:[asin:B000RO533S:detail]

*2:[asin:B0001X9BME:detail]

*3:[asin:4915333191:image][asin:491533323X:image][asin:4915333337:image][asin:4915333574:image]

*4:[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B413#.E9.96.93.E9.81.95.E3.81.A3.E3.81.9F.E7.9F.A5.E8.AD.98:title=「ゴルゴ13 - Wikipedia」の「間違った知識」]参照。